「人間としてあたりまえの老いや死というものを、あたりまえに受け入れていく姿勢を、晩年の母から教わりました」(撮影:本社・武田裕介)
樹木希林さんが悠木千帆の名前で活動していた1976年、当時の男性著名人との対談を雑誌『婦人公論』で連載。そして2025年3月、連載と未公開インタビューを新たに収録した『人生、上出来 増補版 心底惚れた』が刊行に。連載時は希林さんのお腹にいた也哉子さん。2024年秋に希林さんの7回忌を終え、あらためて振り返る両親への思い、そして自身が母として家族を持った心境とは(構成:内山靖子 撮影:本社・武田裕介)

面白がって死に向かっていた

今日は母のワンピースを着てきました。亡くなって6年以上の月日がたった今も、母が遺した服や車を使っています。長身の私に比べて母は小柄でしたけれど、大きめのサイズを着るのが好きだったので、着られるものが多いんです。

パリに住んでいる娘の伽羅も、日本に帰って来たときは“おばあちゃんのクローゼット”を開けて、母の服と自分の服を組み合わせて楽しんでいます。時空を超えて、あの世の母とコミュニケーションしているようで、なんだか不思議な感じです。

母は生前、私や夫(俳優の本木雅弘さん)が「もう着ない」と手放した服をよく着ていました。私があげたベルベットのパンツを、脚の部分を袖に見立てて、ジャケットにリメイクしたことも。「ものにも冥利がある」と言っていたように、なんでも次々と新品に買い替えるのではなく、今、目の前にあるものをどう使い切るかということにエネルギーを注いでいたのです。そんな母が遺した品をどう活かしていくか。それが私に与えられた宿題だと思っています。

昨年の秋、母のお墓がある光林寺という禅寺で七回忌を終えました。このお寺は都会にありながら立派な桜の木がたくさんある、不動産好きの母曰く「素晴らしい物件」。「お墓というのは残された人のためのものだから」と、家からも近く、お花見がてらお墓参りできるこの場所に、自ら建てたのです。