「ズーと出会ったことで、役割分担や支配関係を超え人間と動物が理解しあうことはできる、と実感しました」(撮影:本社写真部)
自身のDV経験からセクシャリティの研究を始めた濱野ちひろさん。そこで出会った「動物性愛(ズー)」というテーマに向き合い、大きな希望を感じたと言います。(構成=古川美穂 撮影=本社写真部)

動物を対等に“愛する”人々を追いかけて

私は大学を出てから、雑誌やウェブの原稿を書くライターの仕事を続けていたのですが、ずっと「セクシュアリティについての研究をしたい」という思いがありました。実は、10代終わりから長年パートナーからドメスティック・バイオレンスを受けた経験があり、男女の性にまつわる問題を掘り下げたかったのです。

一念発起して39歳で京都大学の大学院に入学し、本格的に研究を始めました。そこで出会ったのが、「ズーフィリア(動物性愛。通称『ズー』)」というテーマです。

「ズー」とは、「共に暮らす動物をパートナーとして扱い、なかにはセックスまでする人々」のこと。突然そう聞かされたら、ぎょっとしますよね? 私も初めて知った時には、抵抗感を覚えました。

でも、ズーたちは自分たちの行為を「動物虐待ではない」と主張している。人間の一方的な性的欲望を満たす獣姦とは異なり、自然なかかわりの中での行為であるというのです。どうやってそのような心境に至ったのか、思いを聞いてみたいという興味が募り、調査を始めました。

行きついたのが、ドイツにある世界唯一の動物性愛者の団体、「ゼータ」です。最初に私が連絡をした時は警戒されましたが、時間をかけてメールやビデオ通話でやり取りするうちに、調査を受け入れてもらえることになりました。でも、デリケートなテーマだけに、通常の聞き方ではおそらく彼らの本心が見えてこない。そこで、ズーの家に泊めてもらい、一定期間生活を共にして話を聞くという方法を取ったのです。

ドイツで最初に会ったのは、ゼータの設立者のひとりであるミヒャエル。彼は「妻」のジャーマン・シェパードと駅まで迎えに来てくれましたが、巨体の彼を見た瞬間、本当に怖かった。どうしよう! と思わず青ざめましたが、夕飯を食べ終わった頃にはすっかり打ち解けて。彼は包み隠さず、犬に性的な意味で惹かれた少年時代、その後人間の女性と結婚したもののうまくいかず離婚したことなどを話してくれたのです。

動物性愛は、医学的には精神疾患として分類されていますが、最近ではLGBTのような「性的指向」のひとつだとする性科学者の意見もあります。ミヒャエルの話を聞いたことで、ズーは本当に人間同士と同じように動物を愛しているのだと理解できました。

『聖なるズー』濱野ちひろ・著

それからは何かに突き動かされるようにたびたびドイツを訪れ、2年間で合計4ヵ月間滞在してズーたちの話に耳を傾けました。パートナーは大型犬が一番多く、馬やねずみが対象という人も。ズーにとって、動物との性的交渉は必須ではありません。人と人との関係と同じで、相手のパーソナリティを尊重し、まるごと相手を受け入れることが一番重要。パートナーとプラトニックな関係を築くズーもいます。

ズーの人々は「人間が上」というヒエラルキーに囚われず、動物と対等に接しています。なかには、ズーになることを自ら選択した人も。「愛のためにここまでできるのか……」と胸に迫るものがありました。

本書の刊行後、読者から批判やクレームが殺到するのではと心配していましたが、「私もズーかもしれない」「ズーのようになりたい」という声が多く届き、安堵しています。

ズーと出会ったことで、役割分担や支配関係を超え人間と動物が理解しあうことはできる、と実感しました。ならば人間同士、男女、人種、年齢、立場の差を超えた理解も可能なはず。そこに私は大きな希望を感じます。