旧公民館を改修した峠茶屋は、地域の居場所に(撮影:寺澤太郎)

 

7人きょうだいの4番目。女の子を進学させる経済的余裕は家にない。女性が手に職をつけて生きていくには、と考えて選んだのが看護の道だった。中学卒業後は県立病院付属の養成所に入り、18歳から准看護師として働き始める。

打ち合わせに同席していた夫の元春さんとは、「結婚しても働き続けられること」を条件に23歳で結婚。

夫の転勤に同行して移り住んだ広島では被爆者医療にも従事し、診療所で働きながら正看護師の資格を取得した。その地で長女と次女が生まれ、夫婦で協力しながら仕事と子育てを両立してきたという。

「周りの人に助けられましたね。実は夫が、その後の転勤先の静岡で、詐欺まがいの事業に巻き込まれてしまって。私は子どもと印鑑を抱えて、取り立て屋から逃げ回っていた時期があるんですよ。その時も、保育所の先生や職場の仲間が、『変な人が訪ねて来たらすぐ警察を呼ぶから』と守ってくれました」

静岡では、37歳から看護学校の教員という新たな活動もスタート。後進の指導に生きがいを感じて定年まで勤め上げ、1000人以上の看護師を世に送り出した。