宅老所「峠茶屋」(撮影:藤澤靖子)

一方、村では高齢化や過疎化が急激に進み、介護の問題が深刻になりつつあった。

「私は看護師だから、医療や介護が手薄な田舎で、少しは役に立てることがあるかもしれないと思って。最初はほんの道楽の気持ちですよ。5年もやったら終えるつもりで、自宅の山小屋を小規模宅老所(デイサービス)にして、村のお年寄りをお預かりしてみようと考えました」

そこで江森さんは、仕事の合間を縫って訪問介護の体験や介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格取得などの準備を重ね、2001年暮れに夫婦で四賀への移住を決める。江森さん60歳、元春さん64歳の時だった。

その頃、当時の長野県知事が「住み慣れた地域に小規模の宅幼老所を作る」方針を打ち出し、建物の改修や新築に助成金が出るようになったことを江森さんたちは知る。

「ちょうど実家のある集落に、空き家同然となった旧公民館がありました。昔から地域の人が寄り合いに使ってきた場所だから、お年寄りにも馴染みがあるかなと思って、ここを宅老所にしようと決めたんです」

改修費には江森さんの退職金を充て、宅老所「峠茶屋」は完成した。現在もNPOの名称として使うこの名前には、「山あり谷ありの人生を乗り越えてきた人たちに、ここらで一服してほしい」という願いが込められている。

しかし03年の開設当時は、認知症の親を預けることも、親を預けたと周囲に知られることも避けたい家族が多かった。定員以上の介護スタッフを揃え、地元産の米と野菜を使った食事を用意したにもかかわらず、オープンした月は利用者ゼロ。翌月も2人という厳しい状況だった。

そんな時に頼りになったのは、ご近所さんだ。峠茶屋で、村の老婦人に旧満洲仕込みのギョウザの作り方を教えてもらう会を開いたり、地域の人が制作したキルト展を開催したり。江森さんを心配してか、「ちょっとお茶を飲みに来たよ」と気軽に寄ってくれる人たちも増え、口コミで峠茶屋の様子やデイサービスの魅力を広めてくれた。

「朝出勤すると、玄関先に野菜や山菜が届けられているのが峠茶屋の日常になりました。頑固で村人から疎まれていた男性を預かって、スタッフが根気よく寄り添ううち、『あのじいさんが穏やかになった』と村で噂になったこともあったねえ。そういう毎日が嬉しくて楽しくて。介護という仕事は人を幸せにするのだと気づき、すっかり私、ハマってしまったんです」

後編につづく