梨紗子 中学3年生の時、全国中学生選手権で優勝。目標を果たしました。母と相談して進学先は吉田沙保里さんや伊調姉妹などのすごい選手が輩出した至学館大学の附属高校に。栄(和人)監督は、父の大学の先輩ですし、母がよく知る指導者だったので、安心して任せられる、と。
厳しい練習は覚悟していたけれど、想像以上にきつくて毎日が大変でした。朝5時半からの練習が終わったら登校。道場のある大学と高校は離れているため、授業開始ぎりぎりで教室に飛び込み、学校が終わったら即道場に戻ることの繰り返し。しかも、最初は栄監督が怖くて怖くて。
友香子 母がずっと指導者だったし、道場には男性コーチもいたけれど物腰の柔らかい方ばかりだったからね。
梨紗子 「怖い男性指導者」は初めてで、話すのも緊張する。指導以外では接触しないよう、避けていた(笑)。大学に入ってからは慣れてきて、相談できるようになりましたけど。
友香子 私は中学卒業後もレスリングを続けるか悩みました。練習はつらいし、やめたいとも思いましたが、ついに言い出せず……(笑)。「梨紗子が大学にいるし」という理由で至学館高校に進みました。
「次は二人で」リオ五輪前の約束
梨紗子 栄監督のもとで学ぶうち、オリンピック出場を意識し始めましたが、当時は沙保里さん、伊調馨さんというスターがいて、「まだ私の番じゃない」と思っていた。「追い越してやろう」なんて気持ちはなかった。今思うと、そんなことじゃダメなんですよね。
友香子 2013年の全日本選手権で、梨紗子は馨さんと同じ59キロ級で戦って……。
梨紗子 勝てなかった。リオ五輪を目指すにあたり、「伊調馨を避けて階級を変えたほうがいい」と周囲に言われました。逃げているようなイメージで私は反対しましたが、栄監督も「まだ馨に勝つには時間がかかる」という考えだったので、58キロから63キロ級に階級を上げて。悔しかったけれど、結果的に、リオへの切符を手にできてよかった。金メダルが決まった時は、駆け寄ってきた監督を2回、飛行機投げで投げました。約束は1回でしたけど。(笑)
友香子 その梨紗子の姿を見て、「自分もあんなふうになりたいなあ」と思う気持ちが急に強くなりました。それまでは「私はまだオリンピックのレベルじゃない」と思っていたけれど、一緒に練習してきた登坂絵莉選手や土性沙羅選手がメダルを獲得した姿を見て、羨ましくなったんです。
梨紗子 オリンピック出場は母の願いでもありました。母が選手だった時代は、女子レスリングはオリンピック種目になかったので、私たちが連れて行ってあげたい、と。姉妹二人で頑張ってきたのだから、オリンピックもどちらかしか出られないと家族も喜びきれない。だから、リオ五輪の代表に私が決まってから、「次のオリンピックは二人で出られたらいいね」と話し合っていました。
友香子 17年の世界選手権に初めて二人で出たことで、「姉妹で金メダル」という期待も高まってきて。初めての「アベック優勝」はその年の暮れの全日本選手権でした。決してやりたくて始めたレスリングじゃなかったけど、一つ一つの大会を勝ち進むうちに目標達成の喜びを感じ始めました。18年の世界選手権で姉が金メダル(59キロ級)、私が銀メダル(62キロ級)を取れた時、姉妹でオリンピックという目標に届くかもと思えたんです。