やめたいと母に訴えて
梨紗子 でも、東京五輪への道のりは厳しかった。私は今回、リオの時に変えた階級を戻し、57キロ級で伊調馨さんと戦うことを選びました。それはリオの時にすでに決めていて、「必ず階級を戻す」と栄監督にも宣言していたんです。「62キロ級で妹とぶつかるのを避けた」と思われているけど、違うんです。友香子は身長162センチで私より数センチ高いし、若いから筋肉もつきやすい。友香子のほうが62キロ級に向いているだけ。
18年12月の全日本選手権、初戦は僅差で私が馨さんに勝ちましたが、決勝で再戦。リードするも、残り2秒でバックを取られ、逆転負けしました。ショックで気持ちの整理もつかないうちにワーッと記者やカメラマンに囲まれて……。何を言ったかも覚えていない。
友香子 私も呆然と、記者やカメラマンの後ろに立ちすくむしかなくて。
梨紗子 会見が終わると、すぐに母のところに走っていって「もうダメだ。やめたい」と訴えました。何かがプツンと切れてしまった感じで。このまま続けても勝てないんだ、という気持ちが湧き上がった。母は「続けなさい」とは言いませんでしたが……。
友香子 私もあの時は泣いた。悔しくて、悔しくて。
梨紗子 その後、友香子が頑張っている姿を見たり、応援してくれた人たちのことを思い出したりして考え直しました。19年6月の全日本選抜選手権で馨さんに勝ったところから光が見えてきた。7月、世界選手権と東京五輪への切符をかけたプレーオフで勝てた時は、解放された思いでした。
この1年間はものすごく苦しかったけど、25年の人生で最も濃い1年でした。こんな経験ができたのも、馨さんがここまで頑張ってくださったおかげだし、勝ったから言えることかもしれないけど、この経験は東京五輪を迎える私にとってすごく貴重です。
友香子 私も梨紗子の頑張りに勇気をもらった。リオの時の約束を果たすために、私も五輪の内定を決めてやるぞ、と。