2020年3月24日号

[特集]
〈介護、お金、終わりの見えない負担〉 
親の老後に 追い詰められないで

老いた親の世話は、子ども世代の生活、健康、夫婦仲……、さまざまな面に影響を及ぼします。親のことをほったらかすわけにいかない、きちんと面倒をみたい。そう思うほど、子ども側の肉体や精神に重い負担がのしかかります。老いて頑なになった親、介護が必要な親のケアと、自分たちの暮らし。その両立は、どうすればかなうのでしょうか

●注目記事●

〈父を超える愛をくれる人には出会えない〉
「腎臓をあげるよ」 という提案を、パパは「ほんとに?」と喜んでくれた——
梅宮アンナ

2019年12月12日、俳優の梅宮辰夫さんが慢性腎不全で亡くなりました。享年81。晩年は病気がちで、肺がん、尿管がんなど、6度のがん手術を受けた辰夫さん。昭和の大スターの最期を、娘のアンナさんが語りました

私が最後に父に会ったのは、亡くなる1ヵ月前でした。私と娘の百々果が、「明後日から韓国に行ってくるね」と父に報告しに行ったときのことです。旅の目的は百々果のバレーボールの試合だったので、「頑張って来いよ」と笑顔で見送ってくれました。

両親は2年前に渋谷区の家を手放し、それまで別荘として使っていた神奈川県・真鶴の家へ引っ越していたのですが、都内にも家があって、行ったり来たりしていました。その日は、私と娘の暮らす家にほど近い、都内の家に父がいた日でした。

韓国から帰ったあとは、毎日電話で話していたんです。亡くなる3日前には、他愛のないことから言い合いになりました。私は「パパはわがままなんだから」と思いながらも、喧嘩できるくらい元気なんだと、どこかホッとしていたのに……。

12月12日、朝の5時頃でした。百々果が私の部屋に飛び込んできて「じっじが死んだ」と。そのときに限って、私は携帯電話を消音モードにしていて母からの電話に気づけず、娘から伝え聞くことになったのです。

「えっ!」と飛び起きた私は、気が動転していたのでしょう。パジャマとして着ていたジャージ姿のまま、歯も磨かずに、なぜか4匹の犬たちを娘と手分けして抱きかかえ、父が救急車で運び込まれた小田原の病院へ車を走らせました。

病院に到着したのは7時頃。病室では蘇生措置が行われていました。心臓マッサージによって肋骨が折れているとのことでしたが、家族の同意がないと打ち切ることができないと知り、「もう逝かせてあげてください」と伝えました。「7時40分、ご臨終です」という担当医の声を受けて、父に「私たちが来るのを待っていてくれたんだね」と声をかけました。でも、父が実際に亡くなったのは12日の未明だったのです。
(一部抜粋)


他にも、渡辺えりさんのインタビュー「認知症の両親に会うたび心は揺れるけれど」、松浦晋也さん、山口恵以子さん、吉田潮さんによる座談会「終わりが見えない! だから子世代は切羽詰まって」、専門家の解説「ちょっとした工夫とコツで介護はぐっとラクになる」などが掲載されています。

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[第二特集]
〈肩こり、めまい、疲れやすい——
放っておくと危ない、 その不調

からだのどこかしらに不調や不具合を抱えていても、慢性的なものだし、病院にかかるほどひどくはない。そう思い込んでいませんか。でも、肩や腰の痛みや、時折襲われるめまいなどの症状に、深刻な病気のサインが隠れている場合もあるのです。早めに対処すれば、感じるつらさも最小限で済むはず。今ある「不調」を見つめ、からだの声に耳を澄ますヒントを集めます

●注目記事●

〈糖尿病や乳がんになっても私が元気な理由〉
自分のカラダのことは心配性なくらいがちょうどいい
室井佑月

歯に衣着せぬ発言で人気の室井佑月さん。実は、30代のころから現在に至るまで、命にもかかわりかねない大病を経験してきたといいます。闘病を経て、今も変わらず元気でいられる秘訣は

胃潰瘍だと思って病院を受診したら

あれは35歳のある日のこと。みぞおちに差し込むような痛みを感じました。でもそのときは「胃潰瘍かな」くらいにしか思っていなくて。市販の薬より効果的な薬をもらいたいと考えて、かかりつけの内科へ行ったんです。すんなり処方してもらえると思っていたのに、なぜか医師は、診察するなり「ちゃんと調べたほうがいい」と、大学病院への紹介状を書き始めた。咄嗟に「ありがとうございます」と言ったものの、心のなかでは「面倒だな、どうせたいしたことないのに」と思っていました。

ところが大学病院で検査を受けた結果、担当医から「膵臓にウズラの卵くらいの大きさの腫瘍がある」と告げられてしまったのです。「なんで私がこんな目にあわなきゃいけないのよ」と、行き場のない怒りがこみ上げてきたのを覚えています。なにしろ当時私は離婚してシングルマザーになっていたので、まだ5歳の息子と二人暮らし。どうしろっていうのよ、と。しかも医学書には、膵臓がんは早期発見が難しいとか、進行が速くて生存率が低いとか書いてあるし……。詳しい検査結果が出るまでの間が、とにかく苦しかった。

幸いにして、腫瘍は良性でした。でも医師から、悪性に変化する可能性が高く、痛みの症状も出ているから手術したほうがいいと勧められて。結局、膵臓の3分の2と臓の摘出手術を受けることになりました。

2週間の入院と聞いて気になったのは、仕事のこと。息子は母に預かってもらうとしても、そのころ原稿の締め切りを月に60本ほど抱えていたんです。多くの人に迷惑をかけてしまうこと、仕事を逃してしまうかもしれない不安など、いろいろなことが頭をよぎりましたね。でも命には代えられないと腹を括り、いっそこれまで忙しくてできずにいたことをしようと、心を切り替えたんです。たとえば、いつか読もうと思っていた本を読むとか、DVDを見るとか。

ちなみに、どんよりした気分を一掃しようとネイルサロンへ行ってから入院したんですけど、あれは失敗。主治医から、爪は手術中や術後の健康状態を確認するための重要なバロメーターなのにって叱られてしまいました(笑)。今思えば動揺していたのだと思います。8時間に及ぶ大手術だと聞かされていたから。
(一部抜粋)


他にも、専門家による 「しつこい肩こり、謎の腰痛……。痛みに潜む病の正体は​」、「更年期以降はリスク増! 突然のめまい、怖い? 怖くない?」、「1週間の食事日記で、フレイルを予防しよう」が掲載されています! 

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[読みもの]

〈どんな人にも目配りできる俳優に〉
大谷亮平
韓国で芽を出し、日本で花咲いた僕のこれからは

ワイルドな風貌と大人の色気。4年前、日本でデビューするやたちまち人気俳優の仲間入りを果たした大谷亮平さん。今秋には40歳となる大谷さんに、これまでの人生、そして初挑戦となる舞台のことを聞いた

この春、日本でデビューして丸4年になりますが、「まだそんなものですか!?」とよく言われます。思えば、僕はすごく恵まれていた。4年足らずでここまでやってこられたのも、ひとえに運がよかったからだと思っています。

芸能界に足を踏み入れたのは、大学生の時のアルバイトがきっかけです。一緒にアルバイトをしていた先輩が、モデルの仕事もしていて、「お前もできるんじゃない?」とおっしゃってくださり、僕も挑戦してみようと。とんとん拍子に事務所が決まり、そこからモデルとしてのキャリアをスタートさせたのです。

大学を卒業した翌年の2003年、たまたま受けたオーディションで、韓国のダンキンドーナツのCMが決まりました。僕は「ダンキンドーナツ」の名前すら知らなかったけれど、このCM、僕の前はイ・ビョンホンさんがやっていたほど、韓国では有名。それが「次のキャラクターは韓国で知られていない人にしよう」ということで、オーディションを行ったのだそうです。

韓国に詳しい友達に「そのCMに出たらスター街道まっしぐらだよ」と言われたけれど、当時はまだ日本に住んでいたこともあり、そのすごさがわからなかった。放映後にはスタッフさんから「亮平の顔は韓国ではみんなが知っているから」と言われたけれど、それでも半信半疑でした。

しかし渡韓して「ダンキン、ダンキン」とあっという間に囲まれてしまった時、僕のことをこんなに知ってくださっているのだと、初めて反響の大きさを実感しましたね。こんなすごいCMに無名の自分が起用されるなんて、運命って本当に不思議なものです。(一部抜粋)

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他にも、

〈”一番弟子”が語る真実の姿〉
追悼 野村克也さん
「名将」と言われてきたけれど、選手としても「超一流」の人でした
江本孟紀

〈ルポ「恵子は絶対に生きている」と信じて〉
拉致された娘に会えぬまま逝った、有本嘉代子さん
粟野仁雄

〈「母に愛されたい」が原点に〉
遊川和彦
ひたむきでぎこちない人間を描き続ける理由

〈”大女優”の役に年齢が追い付いて〉
安蘭けい
諦めた瞬間に 運気が向いてきた

清水ミチコの三人寄れば無礼講
ゲスト 安齋肇&みうらじゅん

などなど、盛りだくさん。ぜひご一読ください!!

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