環境が変化することによって、悩みの質は、変わる
ここに来るまでの先人達の努力に幾度も手を合わせたくなった私ですが、しかし丁寧に扱われるようになって女性の悩みが消えるかといったら、そうではないようです。かつては人ではなかった女が人となり、仕事も結婚も出産も、しようとしまいと自由ですよ、となったらなったで、「どの道を進めばいいのか」「いつまで頑張ればよいのか」という悩みが浮上。むしろ男性に「所有」されている方が楽と、自分で考えたり選んだりすることから退行していく現象も見られます。
女性が自らの身体を丁寧に扱うようになった結果としての長寿化も、新たな悩みを招きました。介護、セックスレスといった問題のみならず、「いつまでも若くあらねば」というプレッシャーも、今の女性達にはのしかかるように。
それらは、昔の女性達から見たら贅沢な悩みなのでしょう。が、今の世を生きる女性の中には、セックスレスで死にたくなる人もいる。環境が変化することによって、悩みの質は、変わるのです。
『婦人公論』はこれからも、そんな女性達のための倉庫として、機能し続けることと思います。様々な女性の生き方を提示することによって、「このままでいいのか?」という疑問と「このままでいいのだ」という自信を与えるのが、その役割。百年分の女の生き方を蓄えた壮大な倉庫は、未来を生きる女性達の生き様をもおさめ続ける準備を整えているに違いありません。
この連載中、私は雑誌というものの魅力を改めて噛み締めていました。精製し切る前の、雑然、雑多な情報が詰め込まれているのが、雑誌。『婦人公論』においても、特に男性文化人などは、女性向けの雑誌ということで軽い気持ちで臨んでいる様子が見受けられることもままありました。
だからこそそこには、彼らの本音が無防備にさらされています。次の号が刊行されたら消えゆく運命の雑誌は、時代の波に乗る人、翻弄される人の、最も生々しい姿を切り取って伝えているのであり、私はしばしばタイムトラベル気分を味わうことができました。
百年分の『婦人公論』を読むことは、女性を通して日本の近現代史を見る、またとない勉強の機会となりました。大正、昭和、そして平成の女性達と確かに自分もつながっているという事実を、読者の皆様にも感じていただけたなら、こんなに嬉しいことはありません。