戦前の『婦人公論』
『婦人公論』の創刊号(1916年)から2016年までを丹念に追った連載を、『百年の女』という一冊の本にまとめたエッセイストの酒井順子さん。女の100年を振り返った後、酒井さんに去来する思いとは

※本稿は、酒井順子著『百年の女』(中央公論新社・刊)の一部を、再編集したものです

女が人間として見られるようになったのは

「マガジン」という言葉の語源は、「倉庫」なのだそうです。情報の倉、といった意味を持つのが「マガジン」。

『婦人公論』の百年の歴史を振り返ってきたわけですが、それはまさに、広大な倉庫を探索するような作業となりました。懐中電灯を片手に、百年分の女性の歴史が積み重なった層の奥底まで下りていくのは、何とも刺激的な作業だったものです。

与謝野晶子に平塚らいてうといった、ほとんど歴史上の人物として捉えていた人達と我々が、『婦人公論』を通じてつながっていることに驚いたり。大人しく真面目に生きていたイメージの昔の女性達が、時に激しい恋に身を投じ、時に道を外れてゆく姿にも、「やるなぁ」と感嘆しました。そして我々が当たり前のように享受している自由や権利が、昔の女性には与えられていないことにも、改めて衝撃を受けたものです。

日本の女性は、百年前と今とでは大きく変わりました。着るものや髪形といった外見も異なれば、精神のあり方にも変化が見られます。また女性を取り巻く社会環境も、第二次世界大戦前後では大きく異なっているのです。

『百年の女 『婦人公論』が見た大正、昭和、平成』酒井順子・著

女権の拡張、婦人の解放を目指して創刊された『婦人公論』ですが、女性読者を、
「男に反旗を翻せ!」
と扇動していたわけではありません。保守的な意見から革新的な意見まで、女性にまつわる様々な事象に関する幅広い意見を収納する倉庫として、常に『婦人公論』は存在し続けたのです。様々な意見の中から何を選ぶかは読者に託されたのであり、受け入れ幅の広さと深さがあったからこそ、この雑誌は百年続くこととなったのではないか。

百年の歴史を振り返って実感するのは、「女が丁寧に扱われるようになった」ということです。戦争前まで、女性はたいそう雑に扱われてきたのであり、“雑に扱っても文句を言わない生き物”とされていました。女も人間として見られるようになったのはようやく戦後のことであるという事実は、今の若い女性達にも是非、知っておいてもらいたいところです。

女性の生き方の選択も増え、セクハラもパワハラも訴え出ることができるようになった、今。百年前の女性達は、この環境をどれほど喜ばしく見ていることでしょうか。