厳罰化の流れが止まらない
青木 冷酷な犯罪に平然と手を染める、そうした例は昔からありました。背後には社会環境や時代背景があるとはいえ、いつの時代もそうした気質を持つ者が一定数はいるということも言えるでしょう。しかしメディアが発達し、さらにはネット時代になったことで、ひとつの特殊な事件にことさらに注目が集まり、メディアが集中的に報じる中、あえて普遍化しようとしすぎてしまう傾向があることを僕は危惧します。「あつものに懲りてなますを吹く」ケースになりかねない。
森 うん、たとえば?
青木 たとえば少年犯罪は戦後、減り続けています。凶悪事件全般で見ても、戦前や戦後間もない時期にも凄まじい事件は数多く起きている。『犯罪白書』によると、殺人事件は戦後最多だったのが54年の3081件ですが、どんどん減って2013年には1000件を割っています。にもかかわらず日本は治安が悪くなっているというイメージが世間に根強いのか、厳罰化の流れが止まらない。これはメディアの責任も大きいと思います。
森 確かに戦前や高度経済成長期以前に比べたら、日本は格段に豊かになり、犯罪そのものが減っています。暴力団員の数を見れば、よくわかる。かつては20万人近くいたものが、今は4万人前後。でも犯罪が減っているからこそ、大きな事件があると逆に目立ってしまう。それをどうとらえるかが一番大切だということでしょう。
青木 ええ。過度に普遍化せず、事件の個別的な事情に加え、背景となる社会状況などを冷静に分析することが必要でしょう。
森 その通りだと思います。たとえば格差社会が進んでいく中で秋葉原通り魔事件(平成20年)のようなことが起きる。そうした事件を、我々がどのように考えていくかということですね。
青木 青森県の優秀な高校を卒業した男が非正規労働で苦労する中、世の中に対する不満や憤りを募らせて暴発した。彼を擁護するつもりはありませんが、貧しさや差別など、社会環境的な要因で促される犯罪も明らかにある。今の日本の若者を取り巻く状況を考えれば、類似の事件がもっと起きてもおかしくない。
森 そう思います。
青木 もうひとつ忘れてはならないのが、16(平成28)年に発生し、19名の方が命を落とした相模原障がい者施設殺傷事件。植松聖(さとし)被告が口にしたことは心底許されない優生思想まがいの代物ですが、現代の社会には優生思想まがいの言説や排外主義が蔓延していて、心の片隅で彼の主張らしきものに共鳴する部分があるのかもしれない。だからでしょうか、事件の重大さの割にはあまり語られません。みんなあえて目をそむけているようにも感じられます。
森 現代社会では、障がいのある人を社会の一員として受け入れ、活躍を促すべきという潮流になってきた。それ自体は良いことですし、推し進めていかなければならないと思う。しかし一方で、否定的な感情をもつ側面も残されていて、それが植松への共感にもつながっていくとしたら、すごく危険なことだと思います。
青木 ええ。たとえば外国人も、安易な入管法の改正によって「労働力」としてこれから大勢日本に入ってくる。今のような受け入れ方では不満も出るだろうし、差別もますます生じかねません。そういう時代には、そういう時代なりの犯罪がきっと起きる。そのときに、森さんが言ったようにどう社会が受け止め、社会の側の問題も冷静に鑑みるかが重要になってくると思います。