「息子といっしょ」という免罪符
母の化粧水を父子がこそこそと使うという出来事は、そのような中で起こった。
息子は息子なりに考え、きっとお母さんの使っている高いクレンジングなら一発でニキビが治るに違いない、とでも考えたのだろう。お母さんの使っている化粧水ならあるいは、と……。わかる。愚かだけどかわいい。許す。
驚いたのはうちのおじさんだ。なぜパートナーまで使うのか! 今までスキンケアになんて1ミリも興味ないような顔をしていたくせに。
その夜私は、私の愛用50枚1000円のシートパックを顔にはり付けてソファで寝落ちている息子と、ちゃっかり自分もシートパックをしながらゲームをしている相方を見比べながら考えた。
というのも、最近とみにSNSで「おじさん」という言葉がやや差別用語に近い形で多用されるようになっていることが気になっていたからだ。
私自身は自分のことをおばさんということに抵抗はない。抵抗はないどころかだいぶ気楽だ。実際おばさんだし、大阪のBBAだし、心にヒョウ柄を着て毎日株を回している。そのことに一ミリも悪びれることもない。
1000円で買ったものを「これ1000円1000円」と謎の自慢をして、「え~っっ1000円には見えない~」と驚かれてご満悦。我こそは金を払わずに働かせる人間がG(ごきぶり)より嫌いな、神戸の震災の焼け跡から這い上がった氷河期ターミネーターの生き残りである。
そのおじさんにせよ、おばさんにせよ、決してもう若くはない人間が、新たに習慣を変えることは大変だ。マクドナルドに行っても新商品を頼むのは多分、多くが若者。いつものテリヤキバーガーを結局選んでしまう。老化とはそういうものなのだ。
しかし、なんとここにきて相方は変化した。この世で最も難しい、「老いてのち、柔軟に変化」を果たしたのだ。何故。いったいどうやって?
「もしかして、キーは息子なのでは!?」
もし、息子といっしょ、という免罪符があれば、おじさんが変われるとしたらどうだろうか?
うちのまごう方なき40代後半のおじさんに起きた変化を検証できれば、世の中の中年男性のいくらかがスキンケアに目覚めるのでは?