道長引退後の倫子

倫子は道長が出家したのちも長暦3年(1039)まで出家しなかったようで、道長が安心して出家できるバックアップになっていた。

『大鏡』は、道長全盛時代に唯一源氏でありながら彼女が「幸ひ」人だったといい、『栄花物語』は、倫子の存在があってこそ道長の栄花が達成できたとする。

しかし彼女が、道長が引退したのちも摂関家の中心でいつづけたことはあまり注目されていないようだ。

道長没後も彰子がその権威と権力を行使できたのは、道長と同等以上の権威を持つこの母が現役だったことが大きいだろう。

それは、摂関家の女性集団における彰子のポジションとも関係してくる。

※本稿は、『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(中公新書)の一部を再編集したものです。

【関連記事】
宮川花子 右足が動かなくなりほぼ寝たきりに。落ち込むなかで大助が渾身の下ネタを…「彼のおもしろいところに救われてきた」【2025編集部セレクション】
森永卓郎「老後の資金を投資で増やそうなんて、絶対に考えちゃダメ」ステージIVの膵臓がん。手持ちの株をすべて売り払い、月120万円自由診療の免疫療法に費やす【2025編集部セレクション】
なぜ優れた人の勉強法を真似しても成績は上がらないのか?現役東大生「重要なのは、東大合格者の多くが身に着けている<ある習慣>で…」【2025編集部セレクション】

女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

平安後期、天皇を超える絶対権力者として上皇が院制をしいた。また、院を支える中級貴族、源氏や平家などの軍事貴族、乳母たちも権力を持ちはじめ、権力の乱立が起こった。そして、院に権力を分けられた巨大な存在の女院が誕生する。彼女たちの莫大な財産は源平合戦の混乱のきっかけを作り、ついに武士の世へと時代が移って行く。紫式部が『源氏物語』の中で予言し、中宮彰子が行き着いた女院権力とは? 「女人入眼の日本国(政治の決定権は女にある)」とまで言わしめた、優雅でたくましい女性たちの謎が、いま明かされる。