ショーの前座を務めてくれた「マックボンボン」
けんちゃんとの出会いは、私が18歳、けんちゃんが21歳の時。彼はまだドリフターズの見習いボーヤ(付き人)をしながら、別のボーヤと「マックボンボン」というコンビを組んで活動していました。当時、私は「小柳ルミ子ショー」と銘打ったコンサートを何本もやっていたのですが、その前座を務めてくれたのが同じプロダクションに所属していたマックボンボンだったのです。けんちゃんは当時から笑いのセンスが素晴らしくて、私はこれから自分のステージが始まるというのに、舞台の袖から彼らのコントを夢中になって見ていたことを覚えています。
マックボンボンの芸は、壁にバーンとぶつかったり、転んだり、体当たりしたりという、体を張った激しいもの。動きで笑わせる構成で、それが最高に面白いのです。一方で、けんちゃんが相方に「あの間が悪かった」と厳しくダメ出しをしている姿もよく見かけました。普段から「笑いは生き物。間を間違えると全然面白くなくなっちゃう」と口にし、笑いに関しては一切妥協をしない人でした。
その後、けんちゃんはドリフターズの正式メンバーに。それから、けんちゃんとは『8時だョ!全員集合』で、何度も夫婦コントをやらせていただきました。台本は2人のところだけ白紙。つまり、すべてアドリブです。8割方けんちゃんのアイデアで、打ち合わせ中に「こういうのはどう?」と私がネタを提案すると「いいね、やろう」と気軽に受け入れてくれる余裕がありました。「ルミ子は何をやっても嫌な顔しないで受け入れてくれるから本当にやりやすいよ」とよく褒められましたが、本番中に私の顔の前でオナラをされたときは本当に臭かった(笑)。大爆笑しながら、よくこのタイミングで出せるなあと感心したものです。
けんちゃんの笑いは、いつも音楽とセットでした。音楽と動きと言葉のうち、言葉は三番手。だから子どもや外国の方が見ても面白さがわかるのですね。そして他の誰にも真似できない、あの動きと表情と声の使い分け。ある意味、コメディアンを通り越して「表現者」だったのだと思います。
不思議なことに、けんちゃんがやるコントって、どれを見ても不快な気持ちにならないんです。私はけんちゃんのコントの根底にあるのは「愛」だと思っています。お笑いへの愛、人への愛。そういうところも世代や国を超えて、彼が支持された理由なのかもしれません。