事務所の名付け親に

私にとってけんちゃんは、同志であり戦友。実は、私のかつての個人事務所の名付け親はけんちゃんなんです。私が所属プロダクションから独立することになり、「けんちゃん、私独立したんだけど、ちょっと会社の名前付けてよ」と頼んだところ、忙しい最中にもかかわらず「おう、いいよ。頑張れよ!」と二つ返事で引き受けて、「テンプテーション(心を惹きつけるもの)」という名前を付けてくれました。知識が豊富な人だから、そういうのも上手なんです。

志村けんさんの追悼特集が組まれた『婦人公論』5月12日号

けんちゃんの素顔は、もの静かで繊細で、勉強熱心な努力家。記憶力がよく観察眼も鋭い、非常に頭のいい人でした。その頭のよさを活かして、家族はもちろん、飲みに行った先で出会った人のちょっとした言動もすぐにネタにしてね。なんでもない日常を切り取って、コントにしてしまうんです。

ありとあらゆるものにアンテナを張り、映像も音楽もジャンルを問わず片っ端からチェックしていました。CDなんか、自宅に5000枚以上あったんじゃないかしら。

お酒が大好きで、毎日のように仲間や後輩を連れて飲みに行っていたけんちゃんですが、それには2つの理由があったように思います。1つは先ほど言ったようなネタ探し。もう1つは寂しがり屋だから。彼は飲みに行っても騒ぎもせず、お酒をちびちび飲みながら皆が笑っているのを楽しそうに見ているのです。きっと家に帰って一人になる時間が嫌だったのでしょう。そういう意味では、彼にとってもっとも居心地のいい場所は、たくさんの人に囲まれて自分を解放できる仕事の現場だったのかもしれません。

ボーヤの頃に出会ってから48年。けんちゃんと過ごした時間は、私にとって大切な思い出です。けんちゃんと出会えて幸せでしたし、今けんちゃんを失って、改めて彼の偉大さを実感しています。

けんちゃん、ごめんね。あの憎いウイルスのせいで、お見舞いにも行けず、顔を見て、お別れすら言えなかった。

追悼番組で見たけんちゃんのコントは、ものすごく面白かったよ。今でも笑っちゃう。でもやっぱり、5年後、10年後のけんちゃんのコントを見たかったな。寂しいよ、けんちゃん。


追悼・志村けんさん「天国でも、みんなを笑わせて」

由紀さおり「正気と狂気を行ったり来たり。喜劇に人生を捧げた孤高の人」
小柳ルミ子「ボーヤの頃に出会って48年。同志であり、戦友だった」
研ナオコ「もう二度といっしょに仕事ができないなんて」