ほほえみは「黙って」の合図

さて、作者の竹中優子さまは多彩な歌人でございます。角川短歌賞受賞後、歌集『輪をつくる』で歌集デビューし、現代詩の世界でも活躍。また小説の世界でも活躍し、小説「ダンス」では芥川賞候補作にもなりました。特筆すべきはその多彩さのみならず、どのジャンルを通しても社会や人間の美しさ、醜さ、本質を見抜く力。その洞察力には舌を巻くばかりでございます。

この人を傷つけないで黙らせたいという用途で作るほほえみ    『輪をつくる

ここには、繊細な気遣いと少しの苛立ちが混ざっています。おそらく場面は職場でしょう。余計なことを喋る「この人」を疎ましく思いながらも、作者は「うるさい」「余計なこと言うな」とは言いたくないのですね。


なぜなら、それは「この人」のデリカシーのなさを指摘して、傷つけることになるからでございましょう。特に社会的な場では相手の弱点を指摘することが地雷になりかねないですからな。
そうして作者は「黙って」と思いながらほほえみを作る。いろいろな感情が渦巻きながらも、社会でやっていくために、大切なサバイバルテクニックと言えるかもしれません。 

飴玉は父親のようきいろくて仄暗い舌に舐められている     『輪をつくる』

父親を詠んだ歌にこれほど残酷で悲しい歌があるでしょうか。
「父親が飴玉のよう」ではなく「飴玉は父親のよう」というところがミソですね。飴玉が仄暗い舌に舐められているのを感じて「父親のよう」と思う。
きいろく、仄暗く舐められている父親の像とはどのようなものでしょうな。真っ白でもシックな色でもなく、少し汚れたような黄色。ここには立派で誇り高い父親のイメージはまるで想起されません。どちらかというと、「仄暗い舌」に象徴されるように、社会で働き、時にこき使われるような老いた父親の姿です。
ここに作者の父親への哀愁を感じることができます。