明日になれば私のことなど忘れるだろう
引っ越し当日の朝が来た。立春を過ぎたばかりの暖かい日だった。
いつも通り、6時に起きて作業着に着替えた。マンションの清掃をするために1階に降りて、管理人室のドアを開けた。そして、電気の制御盤に並んだおびただしいボタンの中から共用部分の廊下の電源を選んでスイッチを切った。2月の朝6時はまだ暗いが、朝帰りをするマンションの入居者も、管理人の姿を見ると安心してくれる。
エントランスの床にモップ掛けをしていると、
「おはようございます」
エレベーターからグレースが降りてきた。
4月に高校生になるグレースは中国籍だが、父親の赴任先のオーストラリアで生まれたので、西洋風の名前をつけられたそうだ。日本語が話せない中国人の母親と一緒に住んでいる。父親の姿を見かけたことはない。
「おはよう、ずいぶん早いのね」
「朝練です」
紺色のラケットケースを抱えている。
「かっこいいじゃない。慢走(いってらっしゃい)」
「我走(行ってきます)」
グレースは素直な優しい娘である。毎月末、母親に代わって家賃を払いに来てくれる。私がお札を数え終えるのを心配そうに眺めているが、
「謝謝(ありがとう)、たしかにいただきました。ママによろしくね」
と言うと、にっこり笑って、
「いつもありがとうございます」
と私にきちんと挨拶した。
大好きな娘であるが、私の今日の引っ越しのことは伝えていない。伝えればグレースは悲しむだろう。だが、それはたぶん一瞬のことで、明日になればもう私のことなど忘れるだろう。それが若さというものなのだが。
悲しいのは私のほうなのだ。今日の午後、私はこのマンションを立ち去る。今夜からもう会うことはできない。「回来了(おかえりなさい)」と迎えることも、もうできない。
見送っている私に気づいて、グレースがペコリとお辞儀をして小走りに駅に向かった。
「再見(さよなら)、グレース」
と、小声で言った。涙が溢れたが、すぐに拭った。今度どこかで出会えたら、その時は「好(こんにちは)、好久不見(ひさしぶりね)」と、笑って肩を抱いてあげよう。きっと、きれいな大人の女性に成長しているに違いない。
グレースを見送っていると、繁華街に続く路地から盧(ルー)さんがカップルで帰ってきた。
「回来了(おかえりなさい)」
「我回来了(ただいま)」
盧さんは、歌舞伎町で中華料理屋を営んでいる。中国人にしては珍しく口数が少なくおとなしい。酔っ払っている連れの女性が、盧さんの手を振りほどきながら、「ママさん、大好き」と、大声でよろけながら私に抱きついてきた。
「シッ、安静一点児(静かにしてね)。まだ寝ている人がいるから」
やんわりとたしなめて、絡まれた腕を外した。
「我累了(疲れた)」
盧さんが、本当に疲れの滲んだ顔で言った。
「我很困了(眠くなってきた)」
連れの女性が盧さんにしなだれかかり、二人はもつれ合いながらエレベーターに乗り込んだ。歌舞伎町の小さな店で一晩中働いて、これからが彼らのお休みタイムなのだ。
連れ合いが病に倒れてから3年。マンションの管理は、私一人の肩にかかってきた。今年は例年になく、入居者の入れ替わりが激しかった。入居者から退室届が出されると、気が滅入る。なぜ出ていくのだろう。隣室の騒音か、トラブルか、仕事を失ったのか。転勤だとわかると、ほっとした。そんな煩わしい仕事も、もう今日で最後になる。いつもより念入りに、時間をかけて床を磨き、ガラスのドアを拭き上げた。
エントランスの正面にある大きなオリーヴの木に朝日が射してきた。このオリーヴの木の根元には、数年前に亡くなった飼い犬の骨をひとかけら埋めてある。私がこの家に嫁いで間もないころ、まだ目の開かない捨て犬を、学生だった長男が拾ってきて育てたのだ。利口な犬で、ずいぶん長生きしたが、最後は目が見えなくなり、連れ合いと私が見守るなかで眠るように死んだ。コロと名づけたその飼い犬の骨も、もう土に還ったかもしれない。長い時間が経っている。