高橋秀実さん(撮影:本社写真部)
中高年のスポーツ選手を指す「マスターズ」。ノンフィクション作家の高橋秀実(高ははしごだか)さんはマスターズ陸上大会を取材し彼らがスポーツをする理由に触れ、目から鱗が落ちたそうです。新刊『一生勝負 マスターズ・オブ・ライフ』に綴ったその驚きの発見とは(構成=野本由起 撮影=本社写真部)

人生の達人たちに学ぶ晴れやかに生きるコツ

ノンフィクション作家として、これまで野球、相撲、ボクシングなどさまざまなスポーツを取材してきました。そんな私にある時舞い込んだのが、マスターズ陸上競技大会の取材依頼。「マスターズ」の定義は競技によって異なりますが、主に中高年のスポーツ参加者を指します。きっと、みんなでワイワイ楽しく運動しているんだろう。そんな漠然としたイメージは、見事に覆されました。

その時に取材したのは、70歳以上の女性が参加する100m走。ゴールの後ろで見学していると、こちらが後ずさりするほどの気迫で選手たちが走り込んできます。頭がクラクラするような酷暑の日に、なぜわざわざ走るのか。そんな疑問をある選手にぶつけたところ、「ひとりになれるから」という答えが返ってきました。その方は専業主婦で、日々家事に追われ、常に家族のことを気にしているのだそう。家族の存在を振り切るには、走るしかない。そう聞いて目から鱗が落ちました。それまで私は「走る」=「ゴールを目指す」だと思っていましたが、そうではなかった。彼女は、愛する家族から逃げるために走っていたのです。愛の不条理というべきでしょうか。「走る」=「逃走」だと気づき、人が走る理由を初めて理解できた気がしました。

スポーツというと「努力」「根性」といった価値観で語られがちですが、彼らに「なぜその競技をやるのか」と問えば、その価値観を取り払った先にある、競技の本質が浮かび上がるのではないか。こうした仮説のもと、私は24種目、71歳から89歳の競技者たちに話を聞くことにしました。

取材では、実に多くのことを学びました。走幅跳選手の「ケガをするから練習はしない」という発言には驚きましたが、確かに高齢になると切実な問題です。90歳近い水泳選手はあまりにもゆっくりした動きで心配になり、思わず水中をのぞき込むなんてことも。柔道は「相手を崩して技をかける」のが基本ですが、若いうちは互いに力があって踏ん張るので、膠着状態になってしまう。年を重ねると相手も自分も崩れやすくなり、技も生きてくる。体力が衰えた時に、ようやく極意が見えてくることにも感心しました。

『一生勝負 マスターズ・オブ・ライフ』著:高橋秀実

なかでも考えさせられたのは女性アスリートたちのお話です。70〜80代の女性の多くは、若くして結婚し、家事と子育てに忙殺されてきました。主婦の仕事って、掃除にしても料理にしても、基本的に家族の平穏無事、つまりゼロを維持することですよね。そのせいか、皆さん「自分がどれほどのものか試すチャンスがなかった」と言うんです。例えば砲丸投なんて、「なぜそんなものを投げるんだろう」と不思議に思いますが、球を投げればプラスの記録が出る。自分を試す貴重な体験であり、生きてきた証なのだと気づかされました。

特に印象的だったのは、卓球選手のおふたり。彼女たちの信条は、「人生は勝つか負けるか」。試合はもちろん、ラケット選びから結婚、子育て、日々の生活すべて勝負だと言うのです。潔い女性の世界を垣間見た思いがしました。

辞書によると、「スポーツ」とはもともと「気晴らし」を意味するんです。究極の気晴らしは「勝負」です。何をもって勝ちとするかは人それぞれですが、「勝負!」と思って事に当たることで晴れやかな気分になる。たとえ負けても次に勝てばよいわけで、スポーティーな人はそれこそ不老不死ですよ。