山頭火の継承者の句は、痛痒いような不思議な味わい
自由律俳句で有名なのは、なんといっても種田山頭火だろう。「うしろすがたのしぐれてゆくか」など、五七五の音律にとらわれない俳句だ。定型俳句に比べれば手がける人は少ないけれど、おもしろいところに継承者がいた。せきしろは放送作家で、又吉直樹は芥川賞作家でもあるお笑い芸人。ふたりの句は、笑ってしまうような、それでいてチクチク痛痒いような不思議な味わいである。
季題や切れ字にとらわれないのが自由律。テーマや視点も限りなく自由なのだが、ふたりの句の共通点は「ほんの少し過剰な自意識」だ。ああ、そういう気分は自分にも覚えがあるな、と思う微妙な瞬間が切り取られている。〈拾ってあげようとした小銭がUターン〉〈断ったのに聞き返された〉(せきしろ)。間が悪い。〈手を振り返せないから急ぐ〉〈店員同士の絆が凄いことはわかった〉(又吉)。気まずい。この世の、些細だが最も居心地の悪い場所に案内されているような気持ちになる自分がおかしい。
句だけのページと、句に随筆が添えられているページがあり、この随筆も読んでいると時間を忘れる。ふたりとも達者だから。どうしても許せないことがあり離れてしまった友人が余命わずかだと知らされ、会いに行ったが、長年借りっぱなしだったビデオテープを返せなかったせきしろ。居酒屋で嫌いなお通しが出たら残せばいいのに、3年間修業した青年がついに大将に許されて徹夜で作ったものかも、と考えてしまう又吉。この世って、ままならないところですね。
わたしの選ぶベストは、せきしろ〈おかしいな誰もいない〉、又吉〈ブランコに濡らされた手を拭く〉。おぬしら、やるなと感服つかまつった。
『蕎麦湯が来ない』
著◎せきしろ、又吉直樹
マガジンハウス 1400円
著◎せきしろ、又吉直樹
マガジンハウス 1400円