大胆さと寛容を備えた政策

3月25日付けでVerdi(商業、郵便、出版など各方面の組合が合体したドイツの総合組合)から早速、自営業の人は申請すればすぐに9000ユーロ(100万円強)までの補助金が出ると書かれた手紙が来た。わたしも朗読会や講演がいくつか中止になってその謝礼がもらえなくなったが、おかげで原稿を書く時間が増えたので経済的には打撃を受けなかった。また貯金も少しあるので補助金の申請はしなかった。

文化が大切にされているのだと肌で感じるだけで充分嬉しかった。「文化は贅沢品ではなく生活必需品である」という文化大臣の演説に励まされた人も多かったと思う。

そんなある日、南ドイツで小さな出版社を経営している友人から電話があった。出版社も申請すれば補助金はすぐにもらえるが、来年あたり厳しい審査があり、審査に通らなければ全額返済、すぐに返済できなければ罰金が課せられるので申請は慎重に、と税理士に釘を刺されたそうだ。審査は、補助金をもらわなかったら本当に倒産したのかを調べるものだと言う。

本論考が掲載された『中央公論』2020年7月号。多和田さんの論考のほかにも、パーヴォ・ヤルヴィ さんや鎌田實さんの寄稿も

しかしとりあえずは審査なしでたくさんの自営業者や零細企業が補助を受けることになった。残念ながら詐欺も多発し、架空の零細企業を何百社もつくりあげて補助金をせしめたとんでもない犯罪組織もあった。しかしそういう犯罪を防ぐために丹念に書類審査していたのでは、その間に小売店や零細企業はどんどん倒産してしまう。だから危険は承知の上で、気前よく出せるものはすぐに出して、審査はあとまわしにしたのだろう。

なかなか大胆なやり方だと思う。戦後ドイツの大胆な政策はどれも最終的には人道的に正しかっただけでなく、経済的にも成功したので、自信があるのかもしれない。ドイツ統一も、ペレストロイカ後の旧ソ連からのドイツ系ロシア人全面受け入れも、アフリカからの難民の大量受け入れも、寛大な文化保護政策もすべて大胆な政策だったが、大胆さと寛容はドイツを豊かにしたようだ。

今回のパンデミックは世界中が同じウイルスをもらっただけあって、反応の仕方の違いが比べやすかった。かなり厳しい規制をつくったイタリア、フランスなどと、ウイルス感染を全く恐れないような発言をしたアメリカやブラジルの指導者の差が最初の頃はひどく目立った。

前者は初期に感染者数の激増が分かっていたので急速に対応し、後者は感染の実態を掴めず対応が遅れたため感染者が増えたとも言える。ドイツはその中間くらいで、メルケル首相は早い時期にシャットダウンの方針をとったが、外出に関してはフランスのように厳しい規則はなかった。ドイツにも政府の政策に反対する人たちはいるが、全体的に見ればメルケル首相は今回の危機への対応で多くの国民の信頼を得て、支持が増えたと言われている。