「毒婦」と叩かれる悔しさ
「こっちは素敵なパートナーシップを作るためにマチアプをやっているのに、女というだけで性的対象としてしか評価しない男が多すぎる! 性格や考え方を知りたいのに、頭の中はそっちばっかり! 勝手に性的対象にするな!」
おお、女のパンチラインが出ました!
怒りは古今東西どこでも通じる真っ当なこと! しかし、「性的対象」という言葉や認識がここまで広がった現代は、少しはまともな時代かもしれません。なぜなら、こんな悲痛な歌が残っているのですから……
お嬢様に、明治生まれの美貌の女性歌人と呼ばれた原阿佐緒さまのお歌のおふるまいです。
作者は学生時代、学校の教師と恋に落ちて妊娠、結婚するもあえなく離婚、二人の男児をもうけましたが、その魅力ゆえか恋の誘いには事欠かず、東北帝国大学教授で歌人でもある石原純に強烈に求愛されます。求愛はしつこく、作者の家にいきなり出向いたかと思うと、交際しないとここで死んでやると自殺未遂まで起こされる始末。しかし、当時の新聞メディアはこれをストーカー事件とは判断しませんでした。なんと原阿佐緒さまを、エリート大学教授を「たぶらかした」「毒婦」としてスキャンダラスに叩いたのです!
そこに来てのこの歌でございます。怒りがこみ上げて来ませんか。「若ければ女はかなし」ではなく「若い女に世間は残酷」の間違いなのに、そう認識できなかった時代状況や作者のバックグラウンドがここにはあります。
「自らの知らぬに……」に至ってはどこか自分の立場への諦めと冷笑の気配が感じられます。これは「大変モテていいわねえ」という、たまに見かける女の園の陰口を抜け出すべき思考です。自らを性的にしか見てもらえない悲しみ、相手の下心に気づきつつうまくその場をかわさなければいけないつらさ、そういったものが滲んでいます。ルッキズムとも切り離せない問題でありますが、外見が魅力的であることはまた新たな弊害も生みます。好意を寄せられやすい一方、肝心な人格や考え方を軽視されたり、勝手に偶像化されるなどの問題です。
