見栄晴さん1歳の頃、母と一緒に自宅で(写真提供:見栄晴さん)

40歳で結婚して家を出たわけですが、それはもう大変で(笑)。それまでにも何人かつきあった女性がいるのですが、おふくろはどの人にも厳しかった。でもしかたがないです。おふくろの気持ちはよくわかる。男はマザコンだって言うけど、そうじゃない。僕がおふくろの気持ちを大切にするのは、育ててもらった恩返しです。

そんなこともあったので、結婚は子どもをつくって「おめでた婚」という形をとりました。おふくろが、「孫ができた」って喜んでくれたのが嬉しかったですねえ。

新居は、実家から自転車で5分くらいのところにあるマンション。結婚したとき、おふくろはすでに80近かったし、腸閉塞や不整脈などの持病もあったから、近くでないと。結婚後もしょっちゅう行き来していました。

 

倉庫と化していく2階もはや生活空間ではない

実家に荷物が増え始めたのは、僕が大学生の頃からかな。結婚して別々に住むようになって、それがさらに加速しました。もともと1階は食堂スペースと居間、2階は僕の部屋とおふくろの寝室もあったんです。

でも、いつの間にか生活の拠点が1階になった。年を重ねるにつれ、2階に上がるのが面倒になったのでしょうね。実家に行くたびに「あんた、これ上に持っていって」と頼まれて、空いている部屋にどんどん詰め込みました。

昭和一桁生まれの人って、モノを大切にするじゃないですか。おふくろも、捨てるということがなかった。新しいフライパンを買うと、それを2階に持っていけ、という。そして、古いフライパンを使い続けるんです。そんなわけで、年々荷物が増えていきました。

でもそれを見て「なんとかしなくては」とは思わなかった。変な話、2階は倉庫でいいや、と思っていたんですよ。おふくろが日常的に階段の上り下りをするよりも、1階だけで生活してくれていたほうが安心ですし。だから、「2階に行かないほうがいいよ」と言ってきかせて、季節ごとのモノの入れ替えなどは僕がやりました。

ところが、結婚して4年目の頃、おふくろが転んで膝を骨折してしまって。このダメージが大きくて、今でも「あのとき転んでいなければ」と悔やんでしまうほど。これを機にどんどん弱っていきました。

3ヵ月間まったく歩けず、自宅療養後にリハビリをかねてデイサービスに通うことに。その送り迎えとか、食事の世話とかで、ほぼ毎日実家に通うようになりました。

そうこうしているうちに、今度はトイレに行こうとして転んで腕を骨折。その頃から排泄の介助が必要になって。毎朝毎晩、母に呼ばれるようになり、いよいよ介護が大変になってくる。その後、半年の間に尿路感染症での入退院を2度繰り返したことで、もう自分には限界だ、と思い知らされたんです。