お店のカウンターを囲んで歌を披露する見栄晴さん。20歳の頃(写真提供=見栄晴さん)

作業は全部で8時間、運び出した荷物は、2トントラック3台分になりました。金額は、見積もりでは約43万円だったんですが、ブランドのバッグとか大島紬の着物など、値段のつくものはその分を値引きしてくれて。最終的には30万円くらいでした。

よくもまあこんなものを、というものがたくさん出てきましたよ。ほとんどが僕のものだった。小中高校のすべての学年の成績表、教科書、昔の台本、雑誌の切り抜き、膨大な量の写真、ビデオテープ、事務所の社長からいただいたヴィトンの鞄は新品のまま、高校生のときにファンの人からもらった手編みのセーター、小さい頃に集めていた切手、なぜか昔の彼女にもらった手紙もあったな。なんでおふくろが持っていたのかわからないけれど(笑)。

大きいものでは、小学生のときから使っていた学習机とベッド、本棚。おふくろの持ち物は洋服が結構あって、あと着物、それから桐のタンス。

雑然と詰め込まれた荷物の中から、脈絡なく思い出の品が出てくる。自分で片づけていたら、いるいらないの判断がなかなかつかなかっただろうと思います。遺品に思い入れのない第三者に入ってもらったことで、「どうします?」と聞かれたとき、その場で客観的な判断をつけなくてはならなくなり、能率がものすごく上がりました。

実家を手放す? 考えたこともないです。1階の生活スペースはおふくろが晩年に使っていたベッドや、コップや茶碗などもそのまま残っていて、完全に生活できるようにしてあります。仏壇もあるし、なにより、おふくろとの思い出がそこにある。あ、それからお酒も。

今も週末は必ず通っていて、ここは息抜きの場所になっていますね。いつかこの家を建て直して、仏壇の置き場所もつくって、きれいにしてあげられたらいいなあ。それが目下の夢なんです。

叶うなら、おふくろに聞いてみたいことがあります。それは、一緒に過ごした50年間がどんな月日だったのか。お母さん、あなたの息子として、僕はどうだったのですか? と。亡くなって3年経つ今も、いつも考えていますね。