小学校高学年の頃。母は働き者だった(写真提供=見栄晴さん)

それで86歳のとき、施設に入ってもらうことにしたんですけど、あれはつらかったなあ。姥捨山に親を捨てるような気持ちになった。そのホームには、亡くなるまで3年ほどいたことになりますが、ほぼ毎日、顔を見に行きました。

プリンとかヨーグルトとかを買って行き、車椅子で屋上に連れ出して、花を見ながら食べさせる。おふくろは頭のほうは最後までしっかりしていたので、花の名前をいくつも教えてくれました。

最後は腸閉塞がきっかけで弱ってしまい、89歳で亡くなりました。「お母さん!」って呼んだら、僕の手をギューッと握って、その瞬間、ピーーーとモニターがまっすぐになって、まるでテレビドラマのような最期だったんです。今もあのギューッと握られた感覚を鮮明に覚えています。

 

プロの作業は8時間2トントラック3台分に

実家の片づけをしなくてはいけないな、と初めて思ったのは、おふくろが亡くなってから。ホームにいた3年間は、そんな気持ちにはまったくならなかった。毎日通うだけでいっぱいいっぱいだったこともあるし、放りっぱなしであるにせよ、いちおう秩序があるわけで、「あれを持って来て」と言われたとき、下手に動かすとどこに何があるかまったくわからなくなるし。まあ、言い訳かもしれないですけど。

で、いざとなると、どれほどの分量の荷物があってどれだけ汚いかが、自分でわかっているじゃないですか。とても手に負えないと思うから、手が出ない。それで放っておく感じになってしまって。

そんなとき、さきほどお話しした『爆報!THEフライデー』という番組内で、プロの手を借りて遺品整理をしないかというお話をいただきました。自分ではやれそうもなかったので、ちょうどいいと考えて引き受けたんです。

いやあ、頼んでよかったですよ。プロの仕事ぶりを見て、これは中途半端に手を出さずに丸ごとやってもらうことにしてホントによかった、と思った。僕がやったのは、当日までに大きいものについて、「捨てる」「捨てない」のシールを貼っておくこと。基本的に2階のものは捨てる、1階は、日常使うものだけを残して捨てる。あとは、当日立ち会って、引き出しの中身など細かいものについて、必要・不要の判断をするだけです。