安藤 かといって単純にかつての中選挙区制に戻せばいいとはいかず、そこが難しい。

伊藤 その通りです。ともあれ「風圧を感じさせる政治家」や「奇人変人」がいなくなったのも小選挙区制の影響のひとつでしょう。中選挙区制なら、たとえば5人区の場合、同じ自民党でも1人は世襲、1人は官僚出身、1人は奇人変人が受かった。それを思うと、今の自民党は本当に単色になったと感じます

安藤 ひとつの党の中でもそれだけ多様性があったわけですね。それが失われてしまった。

初めて自民党が下野した日

伊藤 一連の政治改革と前後して記憶に残るのは、やはり1993(平成5)年の細川連立政権の樹立でしょう。自民党が結党以来初めて野党に転落した、戦後日本の政治史上でも大変大きな出来事でした。

安藤 細川護熙さんを首相に据え、非自民、非共産の7党1会派が連立政権を作った。これによって、自民党が常に第1党で社会党が第2党という、いわゆる「55年体制」が崩壊したのですね。しかし細川内閣は1年間もたず、次の羽田内閣は約2ヵ月の短命政権に終わっています。

伊藤 そもそも政策目標ではなく非自民という名目で寄り集まってできた政権です。結びつきが非常に弱いので、早々に瓦解するのもある意味では当然だったのでしょう。

安藤 その後、社会党の村山富市さんを首相にした自社さ連立内閣を経て、政権は再び自民党に戻ってきます。伊藤さん、自民党にいらしたでしょう。細川内閣が発足して下野したときの自民党内部はどんな様子だったのですか。

伊藤 全体として「明日にでも自民党がなくなってしまうのではないか」というほどの狼狽ぶりでした。面白いもので、野党に転落した途端、やってくる記者の数が半減しまして。

安藤 いや、それは非常にありがちな話です。(笑)

伊藤 役所もそう。それまでは官僚を呼ぶと局長クラスが来ていたのに、それが格下の課長補佐になる。陳情客も10分の1ぐらいに減って、一時期の自民党本部は幽霊屋敷みたいにがらんとしていた。与党と野党では天国と地獄ぐらいの違いがある。

安藤 下野するとは、つまりそういうことなのですね。