撮影:本社写真部
かたや永田町で、かたやニュースの現場で、変わり続ける政治を見つめ続けてきた。政治アナリストとニュースキャスターが、平成の政治を語りつくす

平成は政治不信からスタートした

伊藤 昭和から平成へと向かう時期には、政治の世界でも大きな変化がありました。安藤さんは元号が変わるころ、何をされていましたか。

安藤 昭和の終わりというと、私はちょうどテレビ朝日からフジテレビへ移った時期です。夕方のニュース番組『FNNスーパータイム』のキャスターになり、ほどなく昭和天皇が崩御。通常のニュースに加えて特別番組も重なり、皇室式典に関する使い慣れない言葉に緊張しながら、時代が平成に移っていくのを毎日報じていました。

伊藤 政治でいうと昭和最後の年にリクルート事件が起き、平成元年にそれが本格的に政界へ波及します。つまり平成というのは政治不信からスタートした時代ですね。

安藤 平成元年はリクルート事件、消費税導入、牛肉・オレンジの輸入自由化、そして首相の女性スキャンダルで、竹下登さんの次の宇野宗佑内閣がわずか69日で退陣しています。まさに政治的にも激動の時期でした。

伊藤 実は私自身も昭和の終わりから平成元年にかけて、大きな転換を経験しています。平成に変わる少し前に自民党の後藤田正晴さんから突然呼ばれて、「これから政治改革をやるので、政治改革事務局のスタッフをやってくれ」と言われたのです。

安藤 伊藤さんはそれ以前から、自民党本部の職員をされていたのでしたね。当時の後藤田さんの肩書は何でしたっけ。

伊藤 竹下首相の要請で自民党内に設置された「政治改革委員会」の会長でした。私は単なる一職員でしたが、政治改革のスタッフにされて初めて政治に目覚めました。小沢一郎さんや羽田孜(つとむ)さんらと一緒に仕事をする中で、私もその後政党を移り、新党の立ち上げなど重要な政治の場面に立ち会うようになっていく。そのスタートが平成元年だったのです。

安藤 後藤田正晴といえば、「カミソリ」と呼ばれた官僚出身の異色政治家。私は一対一でお話しする機会はなかったのですが、後藤田さんは当時からああいう感じだったのですか?

伊藤 実際にお会いすると、すごくいい人ですよ。小人数の座談なんかでは本当に楽しい方で。政治の世界で私が信頼できる数少ない一人でした。ただ20年以上のお付き合いの中で怒られた経験などないにもかかわらず、彼に呼ばれると常に緊張しました。一種の「風圧」を感じさせるのです。

安藤 私が師事している政治学の先生は、「平成の30年間で政治家が全体に小粒になった」と言っています。おこがましいようですが、私も同感です。たとえば後藤田さんみたいな人がいなくなったということですね。

伊藤 ええ。平成の政治家は総じてそういう凄みがない。だから自民党の二階俊博幹事長のような、数少ない「昭和の政治家」タイプが良くも悪くも存在感を持つのでしょう。