新党が自民党という厚い壁に跳ね返されてきた30年

伊藤 自民党はこの経験から、「とにかく、何がなんでも与党でなければいけない」と深く肝に銘じたのだと思います。政権の座を手に入れるため、社会党と新党さきがけと連立を組み、社会党党首を総理大臣にすることまで平然とやってのけた。

安藤 二度と政権を手放したくないと。自社さ連立政権なんて、以前の自民党では考えられない。

伊藤 振り返ると、平成を境に政党の流動化が始まりました。細川さんが日本新党を立ち上げた頃から情勢が変わり、いわゆる「新党ブーム」の時代がやってきます。新進党、太陽党、フロム・ファイブ、国民の声……その後、今日までに60前後の新党が生まれては消えていきました。

安藤 そんなにありましたか。

伊藤 3日ぐらいで消滅したのも全部ひっくるめてですけれど。最終的にほとんどがなくなりましたね。結局、平成とは「新党の時代」であり、新党が自民党という厚い壁に挑戦し、跳ね返されてきた30年だったと言えるのかもしれません。 

安藤 村山政権の後は橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗と3人の首相を経て、小泉内閣(第一次〜三次)の時代を迎えます。小泉純一郎さんの存在はやはり異彩を放っていた。平成の政治は「小泉以前」と「小泉以降」に分けられるのではないでしょうか。

 

〈後編につづく