創作の源になった女性たちと共に。左から妻の松子、谷崎潤一郎、松子の妹・重子、松子の息子の妻・千萬子(右)

重子には「あなた様は私の創作力の源泉」

谷崎は昭和10年1月28日に松子と祝言をあげた。松子の妹が、長編『細雪』の雪子のモデル・重子である。重子の結婚は遅く、昭和16年、35歳の時に10歳年上の渡辺明と結婚した。渡辺は戦争中、北海道に渡り、妻の重子とは離ればなれに生活をすることが多く、重子は姉夫婦の元に身を寄せた。

紆余曲折を経てようやく夫婦の生活が落ち着いた矢先、渡辺に癌が見つかり、治療の甲斐なく、帰らぬ人となる。二人には子がなかったため、松子の長男の清治が重子の養子となり、昭和26年、渡辺家を継いだ。同年、清治は千萬子と結婚する。

本書簡は、新しい家族が増えたちょうどその頃、谷崎から重子に宛てた手紙である。

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昭和二十六年八月一日 潤一郎より重子

拝啓

一昨夜箱根から帰って参りましたら御ていねいなる御手紙が届いており恐縮しました 

私はあなた様を御世話申上げることを自分の生きがいの一つと致して居ります あなた様は或る意味では私の創作力の源泉であり私が老いて今なお仕事が出来ますのはあなた様のようなお方が精神的の支えとなっている御蔭だと存じていますので御礼は私の方からこそ申上げるべきだと思います 何卒今後共他人行儀なる御考は止めて頂きます 家内を除きましては娘よりも誰よりも私に取りあなた様が一番重要な存在です

私は七日か八日の夜行で帰洛いたします 何か持って帰る品がありましたら至急御しらせ願います、

ことしは熱海でも百度以上になった日がありましたそうで幸い私共は其間箱根に居りましたがあなた様は嘸御看病が大抵でないことと御察ししています 今月中旬が過ぎましたら家内が交代しあなた様は熱海へ御越しになるように此方で相談して居ります 病人は仕方がありませんが千万ちゃんも新婚早々まことに気の毒と思っています 早く病人が軽快になってくれることが皆のためであります

今日あたりから鮎子と孫共が四五日来ることになって居ります

では拝顔の節万々

八月一日
   
    潤一郎拝

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出典:『谷崎潤一郎の恋文〈松子・重子姉妹との書簡集〉』(中央公論新社)/書簡番号二一九