谷崎潤一郎と渡辺千萬子。写真の裏には谷崎からのメッセージ「これでも美人でないかと云って、この写真を皆にお見せなさい」が。/『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』(中公文庫)より

 

千萬子には「ぴしぴし叩き鍛えてもらいたい」

昭和32年、33年頃から、「義妹の養子の嫁」である千萬子との手紙のやりとりが頻繁になり、「トレアドルパンツの似合ふ渡辺の千萬子の繊き手にあるダリア」など、千萬子を詠んだ歌が「石仏抄(のちに「千萬子抄」と改題)」としてまとめられた。

昭和34年1月の千萬子宛書簡には「僕は君のスラックス姿が大好きです。あの姿を見ると何か文学的感興がわきます」とあり、やがてそれが『瘋癲老人日記』に結実する。

谷崎文学における千萬子の存在が大きくなればなるほど、千萬子と松子・重子連合との溝が拡がっていく。本書簡はちょうどその頃の千萬子宛の手紙である。

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昭和三四年二月一六日 潤一郎より渡辺千萬子

九日附お手紙拝見

私もあの日は重子さんが東京へ行かれることとは思ってもいませんでした いつまで待っても帰って来られないので女中に聞いて初めて知ったのは夕刻でした あんな風に時々重子さんにはびっくりさせられることがありますが そう云うところにあの人でなければ見られない面白味もあり長所もあるので私は困ることもあるが芸術的には惹きつけられることも多々あります 中々複雑な女性です 

あなたは立ち場が違うので困惑されるのは尤もですが何とかして将来はパパやあなたと重子さんとの関係がもう少し巧く行くようにと祈っています 折を見て重子さんに私から上手に忠告して見ようと思っています

大小のバアバが惠美子のことをあなたに隠すのはあなたに比較して惠美子があまり劣りすぎるからです 憐れむべきものを優秀な人の前で庇う心理が働いているのだと思います 二人のバアバは愚かな人ではありませんが何としても追い追い老年に向い時勢におくれて行くばかりなので いづれ遠からぬ将来には谷崎家も渡辺家も完全にあなたに支配して貰うようになるでしょう 私の死後は勿論ですが生きているとしても次第に老耄がはげしくなり あなたの智慧や監督にたよらなければ一枚の原稿も書けないようになるでしょう 私は私の崇拝するあなたに支配されるようになることを寧ろ望んでいる者です 近いうちにきっとそう云う時が来ます

あなたは「私には意地の悪い性質がある」と自分でも云っておられましたが病院のおじいちゃんも熱海の二人のバアバも君を尊敬し畏れている反面 君にそう云う短所のあることを認めているようです、あなたが自分でそう云う以上それは事実かもしれませんが私はまだ実際にあなたのそれを見せて貰ったことがありません あなたが私に遠慮しているのだとすれば私はむしろあなたを水臭く感じます あなたに意地悪されるくらいで私の崇拝の情は変るものではありません

橋本家高折家を通じて故関雪翁の天才の一部を伝えている人はあなた一人だと思います あなたの顔や手脚には その天才の閃きがかがやいて見えそれ故に一層美しく見えるのです しかし天才者には大概意地悪のような欠点があるものなのであなたの場合もそれなのでしょう

つまりあなたは鋭利な刃物過ぎるのです その欠点は直せるものなら直すに越したことはありませんが 少なくとも私だけには遠慮する必要はありません 私はむしろ鋭利な刃物でぴしぴし叩き鍛えてもらいたいのです そうしたらいくらか老鈍さが救われるでしょう あなたのことは正直に書き出すと際限がありませんから今日はこれだけにしておきます 

あまり無遠慮に書き過ぎて赦して下さい

二月十五日
     潤
 

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出典:『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』(中公文庫)/書簡番号七一


※読みやすさのため、表記を新字新仮名に、また適宜改行や空きを入れています