谷崎が重子さんを複雑な人間にしてしまった
中島 『デンジャラス』、衝撃を受けました。『細雪』の続編みたいな雰囲気もありながら、内容は全然違って。「えっ、雪子さんがこんなことに!」と。そもそも、なぜ重子さんを主人公にしようと思われたのでしょう?
桐野 作家が小説という虚構を書くことで、周囲の人に波紋がおよんでいくことに興味があります。だから、谷崎の恋人や妻でもないのに『細雪』の主人公のモデルとなって、そのことで影響を受けて生きたに違いない重子さんにしよう、と思いました。
中島 重子さんは雪子のモデルでもあり、谷崎家を語るうえで核になる人物なのに、ご本人には手紙のほかに書き残したものがないですよね。
桐野 そのわりにキャラクターが濃いですね。いつも松子さんの陰に隠れているのに、一つ屋根の下に暮らした嫁の千萬子さんが、「松子さんより、重子さんとのほうが合わなかった」とご自身の著書に書いていますし。
中島 谷崎が重子さんを複雑な人間にしてしまったような気がします。
桐野 はい。重子さんは、『春琴抄』や『盲目物語』のモデルとなった松子夫人のような“ミューズ”ではなかった。でも『細雪』でスポットライトを当てられた。すると、同居する妻の妹ということで、いろいろな憶測や噂が広がっていくわけですね。例えば、谷崎は重子さんとも関係があったのではないか、とか。
中島 屈託がおありだったでしょうね。それにしても重子さんは、なぜそこまで谷崎家に取り込まれなければならなかったのか。
桐野 結婚が遅かったことも、理由のひとつではないでしょうか。当時の富裕階級の女性は職業がなく、結婚しなければ生きていけなかった。嫁に行かないなら、家長か誰かに頼らざるをえない。重子さんにしてみれば、谷崎と松子との生活が楽しかったのでしょう。
中島 その間に、密接なつながりができてしまったのかもしれませんね。やがて旧華族につらなる人と結婚するけれど、あまり幸福そうではないし、夫が北海道で暮らすようになってもついていかなかった。