『美しい痕跡 手書きへの讃歌』著:フランチェスカ・ビアゼットン

手書き文字はひとりひとりが違う人間だと自然に示す

ここ数年、また万年筆がブームのようで、文具店の万年筆売り場が華やかだ。ショーケースの一隅には、ペン先の先端が平らにカットされている、変わった万年筆がある。これがカリグラフィ用のペンだ。

レストランのメニューや西洋の古書に見られる飾り文字は美しい。昔は文字を記すための紙が貴重だったので、限られた面積に文字を詰めこみ、かつ見苦しくないように工夫したことから、カリグラフィは生まれた。先生について訓練したり、作品を製作したりと、毛筆の書道に似た面がある。

著者はイタリアのカリグラファー。手書き文字の表現力を活かす道を探ってきた長年の活動から、人と文字との関係を瀟洒な随筆にまとめた。手書きの文字は書いた人の身体的・精神的な個性を反映する。だからメールなどデジタルの文字より手書きのメモのほうが「伝わる」ものが多い。著者は手書き文字を自己表現の手段と見ているだけでなく、社会を変える可能性すら見出している。

最近では、子どもにアルファベットの筆記体を教えない国が増えた。デジタル文字が読み書きできれば生活には支障がないというわけだ。でも、ペンやインクという道具を自分の身体の延長のように自在にあやつる技術と、昔から継承されてきた合理的で優美な書法を身につければ、その先には自己表現の可能性が広がる。手書き文字は、ひとりひとりが違う人間であることを自然なかたちで示すから、枠にはまらない自由な思考をはぐくむはずだ。

個性を認めない強い同調圧力にさらされても、それに対抗できる表現力をもっておきたい。手書きはそのささやかな一歩なのである。

『美しい痕跡 手書きへの讃歌』

著◎フランチェスカ・ビアゼットン
訳◎萱野有美
みすず書房 3400円