2020年9月8日号

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[特集]
「親子で同居」、
うまくいくにはコツがある

「親」が体調を崩したり、「子」の生活に援軍が必要だったり、はたまた結婚する時からの決まりごとだったり。おとな同士が住まいをともにすれば、頼もしさも窮屈さも2倍。穏やかに暮らすためのヒントに、実の親子/義理の親子の壁はありません

●注目記事●

〈娘と住んでも、主導権までは渡さない〉
財布は自分で持ち、心はいつもひとり暮らし
樋口恵子

今年米寿を迎えた樋口恵子さん。70歳を過ぎた頃から、「いよいよとなったら有料老人ホームに入る」と考えていたものの、ひとり娘と「永久同居」することを決めたそうです。生活ペースの違いやお金の面などに気をつけ、心地よい距離感を保つための秘訣を聞いてみると──

自分が死ぬまで、もしくは最期のときを迎える病院か施設に入るまでは娘と一緒に暮らす、と覚悟を決めたのは、今から4年前の2016年。私が84歳のときでした。

きっかけは、築40年を超えた木造の自宅を建て直さなければならなくなったこと。あちこちから雨漏りしたり、蔵書の重みで床がへこんだりして、毎年のように屋根や壁を直す羽目になり、そのたびに100万円単位のお金が飛んでいく。

また、耐震性も心配でした。専門家に調べてもらったら、震度5以上の地震が来たら90%の確率で倒れてしまうとか。隣近所にご迷惑をおかけしないためにも、家を建て替えなければならないな、と。

私が60代の頃は連れ合いも元気でしたから、伊豆に山荘を建てて、最後は老人ホームに入ろうか、と2人で話していたのです。でも17年前、連れ合いが脳梗塞で倒れて70歳で亡くなり、夢物語に。以降は「いよいよとなったら、有料老人ホームに入ろう」と考えて、入居資金を蓄えていました。

でも家を建て替えるとなると、それをつぎ込まなくてはいけない……。少々悩みましたが、うちのひとり娘は独身。私亡き後も快適に暮らせる家を遺すためには、やっぱり建て直すしかなかったのです。同居していれば相続税が8割減額されることも大きかった。

若くして病死した最初の夫との間に生まれた娘は、今年で62歳。それまでもずっと一緒に住んでいました。ただ、彼女は大学病院の医局に勤めていましたから、同居とはいえ、自宅ベッタリではなかったのです。他県の病院に勤務することもありましたし、短い期間でしたが、海外の病院に出張したことも。東京勤務の間はずるずると一緒にいただけ、と言いますか。 (一部抜粋)


他にも、読者アンケート結果発表「聞いて! 言うに言われぬわが家の不満」、甘糟りり子さんのインタビュー「バブルな都会を捨て、 生まれ育った場所に帰ってきた​」、タカ(タカアンドトシ)さん、塙宣之(ナイツ)さんの対談「「マスオさん」と呼ばれても妻がご機嫌ならすべてよし」、ルポ「ひとつ屋根の下のストレスは、こうやり過ごしました!」などが掲載されています。

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[第二特集]
〈誰かにそっと打ち明けたい〉
私だけのフシギ体験

信じてはもらえないだろう。でもかすかに、いや、はっきりと感じた気配や音、姿は月日が流れても記憶に留まっていて……。人びとが実際に遭遇したという奇々怪々な出来事が、人知を超えた世界に誘います

●注目記事●

〈読者体験手記傑作選〉
準備万端整えて逝った父。
葬儀の終わりに 現れたバッタは毎日こちらを見ている ​

突然、目の前に現れた不可思議な存在。何かを訴えたかったのか、それとも……

あれは、2年前の夏だった。そろそろ夕食の支度を始めようかと思いながら、私はリビングでパソコンに向かい、調べものをしていた。その時、ガチャリと玄関のドアが開く音がした。大学生の娘が帰って来たのだろうか。でも、今日はバイトで帰りが遅いはず。夫も残業。とりあえず「おかえりー」と声をかけたが返事がない。

空耳だったのかと思い、リビングを出て廊下を見た。トイレのドアあたりから、誰かが見つめているような気配を感じる。けれど、誰もいない。首をかしげつつリビングに戻り、夕食を作り始めるうち、そんなことは忘れてしまった。

今思えば、あの時、父は私に別れを告げに来てくれたのだろうか。父が急逝したのは、2日後のことだった。

その年の元日の朝、遠方に暮らす実家の母から電話がかかってきた。久しぶりに聞く元気な声に安堵していると、父が話したいから電話を代わると言う。本当に珍しいことだった。父はほとんど耳が聞こえない。相手と会話が成立しにくいのを気にして、電話に出たがらなかったからだ。

「話しておきたいことがある。春かお盆に帰って来てほしい」

父は私に言った。
(一部抜粋)


他にも、読者が体験した不思議な話の数々…、小松和彦さん、田辺青蛙さんによる対談「妖怪も幽霊も あなたが呼んでいる」が掲載されています。

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[読みもの]

〈「へこたれてちゃいけない」と思うときに〉 
浅田次郎×杏
生きる勇気は、歴史を知れば湧いてくる

長年、歴史小説を愛読している杏さんは作家の浅田次郎さんの大ファン。9年ぶりの再会に杏さんの子育てから、苦しい時の乗り切り方、そして浅田さんの新作まで、話が弾みました

浅田 新選組をテーマにした『一刀斎夢録』を書いたときに対談して以来だから、9年ぶりですか。すっかり大人の女性になったね。

 ありがとうございます。またお目にかかれて嬉しいです。

浅田 偶然だけど、ちょうど今、あの作品を読み直してるんですよ。チェックなんかも入れながら。

 そうでしたか! 作家さんも、ご自分の作品を読まれるんですね。

浅田 最近はそればっかり(笑)。なぜかというと、体も頭も衰えてきて、仕事のレベルが落ちていないか確認するためなの。衰えを感じる部分もあれば、そこそこよくなっているところも発見するんだけれど。杏さんは、昔のドラマや映画を見返したりはしないの?

 そうですね、「あのときは楽しかったなあ」と振り返るくらいでしょうか。女優デビューしたての頃の作品は、怖くて見る勇気がないです。(笑)

浅田 それにしても、コロナで世の中がこんなに変わるとは、思ってもみなかった。女優さんも大変でしょう。

 私の仕事は、どこかに出かけていって人と関わり合うことなんだ、というのをあらためて実感しました。それができないので、本当に何もやることがなくなってしまって……。でも、この「非日常」で感じたことはしっかり残しておきたいと、自粛期間中に日記をつけていました。お婆ちゃんになったときに、孫から「あの大変な時期をどう過ごしたの?」って、フィールドワークみたいな感じで質問された自分を想像しながら。

浅田 苦しいときに、そうやって客観的に自分を見つめられるのは、すごいなあ。作家は普段から自粛生活みたいなものだから、あまり変わらない(笑)。僕の場合はツイていて――と言うと語弊があるのだけれど、コロナ前にちょうど次の作品の取材が終わっていた。神様に、「お前は書斎に籠もって原稿用紙に向かえ!」と言われているような気持ちで仕事していましたよ。杏さん、お子さんは何人いらっしゃるんだっけ?

 4歳になる双子の女の子と、2歳半の男の子の3人です。

浅田 そりゃ、お母さんにとって一番大変なときだ。

 私、子育ての中で自分に言い聞かせているスローガンがあるんです。「戦国よりはマシ!」って。

浅田 ははは。それはまた、“歴女”の杏さんらしい言い回しだけれど、そのココロは?

 昔の子育てが、どれほど大変なものだったのか。例えば、『江戸の乳と子ども――いのちをつなぐ――』(沢山美果子著)という本があるんです。哺乳瓶も粉ミルクもない時代には、赤ちゃんにとって母乳だけが、文字通りの命綱でした。

浅田 お母さんのおっぱいが出なかったら、生きられなかった。

 にもかかわらず、地位の高い人に子どもが生まれると、村中から乳の出る女性が集められて、その結果、彼女たちは自分の赤ん坊におっぱいをあげられない、なんていうこともあったようです。

浅田 そういうつらさに比べたら、今はずっとマシじゃないか、と。

 多少のことでへこたれていちゃいけない、と自分に言い聞かせるんです。子どもがちょっとくらいご飯を食べなくても死ぬことはないでしょう、って。そういう話を友達にすると、「出た、杏の極論」って言われるんですけど。(笑)

浅田 いやいや、正しい歴史の学び方ですよ、それは。(一部抜粋)

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〈「八郎さん」は今も僕のなかにいる〉
松下洸平
芝居も歌も絵も 一つの引き出しに入れて

2019年のNHK連続テレビ小説『スカーレット』でヒロインの夫役を演じ、幅広い層に支持された松下洸平さん。もともとは音楽をメインに08年から活動し、アーティストとしての一面も持っています。次回作を控えた心境と近況を聞きました

『スカーレット』では、戸田恵梨香さん演じる主人公・喜美子の夫で、陶芸家の十代田八郎役をやらせていただきました。ありがたいことに八郎にハマってくださる人が増え、SNSで「八郎沼」という言葉が生まれたとも聞いて。番組の影響の大きさを肌で感じました。朝ドラに出演することは僕にとって、特別な思いがありました。過去3回オーディションに落ちていて、そのたびに、自分が落ちた番組を観ては、「もしこの役を僕が演じていたら」と、悔しい思いをみしめていたからです。

朝ドラは半年以上もの期間をかけて役を全うできる、数少ない作品。若い時から老年までを演じられることも多く、お芝居をやる者にとっては、最高の喜びがあると思っています。もちろん、単純にたくさんの人が観てくださる番組だから出たいという思いもありました。芝居を始めてからはずっと憧れていて……。夢が叶いました。

ドラマの舞台は滋賀県でしたので、台詞は関西のイントネーションです。生まれも育ちも東京の僕は、関西弁の会話を何度も聞いて、それを体に浸透させていきました。撮影中は、標準語を話すのがなんだかむずがゆくて、関西弁の人がいたらすぐうつってしまうくらい。それほど役が自分に染みついていたのだと思います。 (一部抜粋)


他にも、

〈カラーグラビア&インタビュー わかり合える仲間がいるから〉
山田涼介(Hey! Say! JUMP)
信念をとことん貫く

〈新連載〉
藤原しおりの TOKYOで世界一周
1)新大久保の〝リトル・カトマンズ〟

〈夫婦対談 ステージⅣからの完全寛解!〉
笠井信輔×茅原ますみ
脱サラ直後のがん闘病で家族のありがたさを知った

婦人公論井戸端会議2020
司会=重松清 ゲスト=井上咲楽/奥本大三郎
昆虫に夢中!︱︱観る、聴く、食べる

〈宝塚 すみれ色の未来へ〉
花組
ミュージカル浪漫 『はいからさんが通る』

などなど、盛りだくさん。ぜひご一読ください!!

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