「私は車椅子を使わず、自分の自然治癒力を信じてリハビリに励んで。あのとき車椅子に頼らなかったから、今でもしゃんと歩けるんです。何ごとも、ラクはダメですね。苦労するほうがいいの」

ばあさんでも苦労しようじゃ

この年になると、もちろん体は衰えていますよ。古い味噌樽を日なたに干しているようなもので、あちこちがガタガタ。右目はほとんど見えなくて、白内障の手術をした左目だけで見ています。耳も遠くなったし、歯も悪い。91歳ですから、そこは受け入れるしかない。たしかに、どこからどう見ても立派なばあさん。でも、「ばあさんだ、ばあさんだ」と自分で自分を追い込むこともしたくないんです。

85歳のとき、東京駅の階段を転げ落ちて大腿骨を骨折しました。入院中、車椅子に乗せられそうになったけど、断固断りました。だって、大病院の廊下で車椅子に乗っていれば、人に見られて、「ああ、桂子さんも車椅子になっちゃった」なんて言われるでしょ。

看護師さんにすれば、危なっかしくヨタヨタと歩かれるよりは安心なんだろうけど、こっちは違う。それに、一度、車椅子を使ってラクなのを覚えてしまうと、そこからもう立ち上がれなくなりそうじゃないですか。

自作の都々逸にこんなのがあります。

 車椅子。国の政策の老人介護。
 乗らずに行きたい口車

つい乗りそうになるけど、その前に、本当に自分のためになるのか、よく考えよう、ということです。

私は車椅子を使わず、自分の自然治癒力を信じてリハビリに励んで。あのとき車椅子に頼らなかったから、今でもしゃんと歩けるんです。何ごとも、ラクはダメですね。苦労するほうがいいの。

 苦労嫌うな、苦は身の宝。
 苦労しようじゃ、蔵が建つ