《ディアベッリ・プロジェクト》ルドルフ・ブッフビンダー

現代の感性で作曲家の意図に迫る

ベートーヴェン晩年の傑作《ディアベッリ変奏曲》。この曲が誕生した背景には、誇り高く頑固な彼のキャラクターを物語るようなエピソードがある。

1819年、ウィーンで出版商を営んでいたディアベッリは、自作のワルツ主題をもとに、祖国ゆかりの50人の人気作曲家に変奏曲を書いてもらい、まとめて出版することを考えた。そのリストの中にはベートーヴェンもいたわけだが、はじめ彼はこの主題に関心を持たなかった。しかし後に曲想がひらめいて着手すると、一人で33にのぼる変奏を書き、立派な作品に仕上げてしまったのだった。

ディアベッリは結局、ベートーヴェンの作を単独で出版。他の50人による変奏曲は別の巻として出版した。

ベートーヴェン弾きとして名高いオーストリアのピアニスト、ルドルフ・ブッフビンダーは、20代の頃に一度、この全2巻の変奏曲の世界初録音を行っている。そして半世紀近くを経た今、ディアベッリの主題に新しい息吹を与えた。

Disc1は、ベートーヴェン版。力強くぎらぎらした音で奏される主題に続き、73歳の巨匠の攻めの音楽が、緻密に構築された変奏をくっきりと聴かせる。そしてDisc2は、11人の作曲家による〈ディアベッリのワルツによる新しい変奏曲〉。

顔ぶれは現代らしく国際的。過去にノーベル文学賞にノミネートされた作家でもあるアウエルバッハは、主題をミステリアスなワルツに仕立てあげた。細川俊夫の作は〈喪失〉という題で、繊細に滲む和音が寂寥感を醸す。ほかにも、マックス・リヒターやタン・ドゥンなど人気作曲家が名を連ね、短編映画をつないだような曲集となっている。

加えて、2世紀前に書かれた前述の変奏曲集から、リストやシューベルトなど一部の変奏曲も収録した。ブッフビンダーのこの変奏曲に寄せる好奇心、生きた形で後世に伝えようとする意気込みが伝わる。

ディアベッリ・プロジェクト 
ルドルフ・ブッフビンダー
ユニバーサル 3600円

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《ショスタコーヴィチ:交響曲第8番》トゥガン・ソヒエフ

作品を通じて社会や世相を描く

芸術家は、ときに作品を通じて社会や世相を描く。ソ連時代を生きたショスタコーヴィチの《交響曲第8番》は、第二次世界大戦中の1943年、スターリングラード攻防戦での赤軍の勝利によせて書かれたとされる。

当時ソ連当局はショスタコーヴィチに、好転した戦況を反映した曲を期待していた。しかし、日々凄惨な情報に触れながら書かれた本作は悲劇的で、その期待にそわないものだったといわれる。それでも作曲家本人はインタビューでこの交響曲について、「楽観的で人生肯定的」と語った。これが政府当局からの批判をかわすための発言だったのか、真相はわからない。

それから70年以上を経た今、リリースされた新録音。指揮のトゥガン・ソヒエフは、ショスタコーヴィチが没した2年後の1977年に生まれ、サンクトペテルブルクで学んだ。ロシア音楽界が輩出した気鋭でありつつ、フランスのトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団で音楽監督を長く務めるなど、グローバル時代らしい柔軟な感性で活躍する。

フランスの楽団ならではのしなやかさを生かし、重い作品を抑制の効いた演奏にまとめている。パワフルな序奏も、無骨さや息の詰まるような緊張感よりは、洗練という印象が強い。軽快に、緻密に音が重ねられる3楽章は、ミニマルミュージックのようにスタイリッシュ。葬送風の4楽章や静かに閉じられる終楽章も、諦念や達観ととれる余韻を残す。悲惨さを嘆くのとは一味違う冷静さを保った演奏で、作曲家の意図に迫る。

時代に翻弄されながら芸術を極めたショスタコーヴィチ。もし今の時代を生きていたら、コロナ禍の社会をどんな音楽で表現しただろうか。

ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 
トゥガン・ソヒエフ
ワーナー 3000円