「飼いやすさ」ではない。「縁」なのだ
こんな私が動物愛護の声をあげるようになったきっかけは、数年前、友人に誘われて訪れた保護団体「NPO法人TWFの会」との出合いである。動物がゴミを食べてしまわないようにと、会の方のご指導で、まずはゴミ拾いから始めた。
これくらいなら自分にもできるかと思ったし、少しだけでも世の中の役に立っていると、自分が思いたかったのだ。
最初は少しだけ、のつもりだった。精力的に取り組む人の気が知れない、とさえ思った。のめりこんだら大変すぎるのは、やらなくてもわかる。
しかし私は、たくさんの犬と猫の現実を知ることになる。
虐待された犬は人間を怖がり、凶暴な顔付きで襲いかかってきたりする。だけど愛情をかけ、時間をかけていくと、徐々に心を開き、人間を信じ、穏やかな顔になり、里親さんの元へもらわれていく。こんな感動的なことって、そうはない。
犬と猫は、人間と同じようにそれぞれの個性があるのだ、と初めて知った。今までは、「この犬種はこのような性質だ」とか、「飼いやすさ」だとか、「毛が落ちにくい」だとかそんなことばかりが頭に入っていたが、動物を育てるのにマニュアルはないのだ、と知る。愛を注ぐことが重要だと知る。なかなか人間に慣れない子が、里親さんに引き取られるケースも多い。「飼いやすさ」ではない。「縁」なのだ。
驚いたのは、多頭飼育崩壊や虐待をしてしまう人が、動物を憎んでいるわけではないということ。人間のストレスがそうさせてしまうわけで、手放さなければならなかった動物に、泣きながら「また会いたい」と言う人にも会ってきた。TWFの会創立者の武司さんは、「飼い主さんが楽しくなるように協力させてもらいたい。ストレスがなくなれば、動物と仲良くなれる」と言う。それって最高に素敵だ。