まともがゆれる
常識をやめる「スウィング」の実験

著◎木ノ戸昌幸
朝日出版社 1560円

肩肘はらない生き方を選んだっていい

たいていの日本人は、子どものころから「まともであれ」と教育されてきた。しかし、まともに生きるには多少とも無理をする必要があり、苦しい。だから無理なく生きている人を「まともではない」と叩き、自分を正当化しがちである。

まともってなんなのか。普通の生活をしていると、そんなことを真正面から問う機会はない。でもここにいましたよ、考えつづけている人が。

大人たちの思う「まとも」に適応しすぎ、良い子にはなれたけれど人目が怖くて生きた心地もしない。そんな状態を脱しようともがき、ついに京都で「NPO法人スウィング」をつくったのが著者だ。障害のある人たちが出勤してくる。意味不明な理由で欠勤する人もいれば、出勤しても働かない人もいる。平均値を出すことになんの意味もないぐらい個性的な人々が、個性を殺さずに生きている。

路線バスを愛し、車体を一瞥してどの系統のバスかを言い当てる人は、特技を活かして交通案内をする。ほかの人は戦隊コスチュームに着替えて町なかでゴミ拾い。どちらも初めはひととおり怪しまれるが、認知されたらそこが彼らの新しい「居場所」になる。ゆきずりの小学生と会話するようになれば、すっかり町の一員だ。

障害者の働きぶりを見て、健常者が自らの「まともさ」を疑い始める。自立とか責任とかカッコいいこと言いながら、じつは効率しか長所がないのではないか。それで幸せなのか。肩肘はらない生き方を選んだっていいのではないか。いまの時代のニッポンに、この問題提起は深くつきささる。まずは自由人たちの自由すぎる言動にふれて笑ってください。ハートをわしづかみにされますよ。