洋服が毎日同じでも、紙とえんぴつがあれば幸せ
最近はファッションの取材を受けることが増えたのだけど、洋服は毎日同じです。パフスリーブの白い木綿のブラウスにベストを重ねて、下は黒のスカート。そのパターンでそれぞれ5〜6枚持っていて、洗濯して着回しています。冬もその上にコートを着るだけです。
「いい年して、パフスリーブってどうなの?」と思われるかもしれないけれど、肩がふっくらした服を着ると私は元気になる。たぶん誰にでも、身につけたとき生理的に「合う」ものってあるんじゃないかしら。
この間、女友だち2人と旅行した際に成田空港で待ち合わせたら、友人の荷物は二十数キロあったのに私は5キロちょっとだけということがありました。そうしたら2人が私の目をじーっと見て、「大丈夫ですか?」って。私がボケて、家に荷物を忘れてきたと思ったらしいの(笑)。
こんなふうに、画材や本など好きなものは身の回りにたくさん置いて、衣食住にまつわるものは必要なものだけでいいというのが、私のスタイルなのかもしれません。初めてひとり暮らしをしたときは、張りきってキッチン用品を揃えたのですが、20年ほど前に今の家に越すとき、使っているものだけにしようと思ったら、小さな鉄のフライパン2つになりました。
野外でキャンプするみたいに、ちょっと不自由だけど、あるもので何とかする生活。そういう「苦学生」みたいな暮らしが大好き。たぶん、可能性がたくさん残されているのが好きなんだと思います。完成したものや、夢が叶った状態って居心地が悪い。屋根裏部屋の苦学生って、一生懸命勉強すれば何かになれる姿なんですよね。ある意味欲張りというか、もっともっと何とかできるって考えるのが性に合っているんでしょう。
絵を描くときも、舞踏会に行くシンデレラより、変身前の地味な姿をいかにかわいくするかを考えるほうがずっと楽しい。破けたエプロンに継ぎをあててあげようとか、庭の草を髪に飾ってみようとか、イメージがどんどん膨らむ。ドレスって工夫のしがいがないから、1回描けば満足しちゃう。
お金持ちより貧乏な子のファッションに親近感をおぼえるのは、子どもの頃の記憶があるのかもしれません。戦争が激しくなって、父も出征してしまったわが家は東京から栃木へ疎開しました。母は、私と妹2人と弟を連れて不自由な疎開暮らしをしながらも、自分の着物や父のコートをほどいて子どもたちの服を手作りしてくれて。私の家は貧乏だったけれど、いつも家族の笑い声でにぎやかでした。
疎開先の小学校にはK子ちゃんというお金持ちのお嬢さんがいて、学校から帰ると素敵なレースのワンピースに着替えるの。彼女の家に遊びに行ったとき、部屋にあったオルゴール付きのフランス人形があんまり素敵だったので、家に帰ってすぐに絵に描きました。ドレスのまわりにはオルゴールが奏でる音符も散らして。すると本物の人形よりもずっとかわいい姿が紙の中から現れたのです。
紙とえんぴつがあれば幸せ。お金がなくても、何だってできる。それが、19歳でプロのイラストレーターになってからウン十年、今も変わらない気持ちです。