父は、会社が倒産してから、私たち家族と離れ、女性と暮らしていた。幸い、工場は手放さずに済み、そこに住みながら、細々とだが仕事を続けていたのだ。会社を倒産させてしまった父は、自分名義の電話回線を引くことができず、名義を祖母にしていた。そのため、父の死後、高額の通話料金の請求書がわが家に届く。一緒に暮らしていた女性が、父が亡くなって数日の間に、驚くくらいたくさん電話を使っていたためだ。
家業が倒産した家の娘ならよくあることだと思うが、私は、自分の行動を1時間単位で日記につけていた。この日記を電話会社の担当者に見せ、父が暮らしていた家で、私や母、祖母が電話をかけることは不可能であることを証明。担当者は渋々ながらも納得し、通話代は彼女に請求されることになった。
しかし今度は、祖母名義の電話回線を工場から撤去する工事費として4万円ちょっとを請求される。現金書留はそんな折に届いたのだった。電話会社への支払いを、母と私の稼ぎからは出したくない。現金書留の5万円はまさに“渡りに船”。このお金から工事費を支払い、手元には1万円が残った。「お父さん、財産は残さないって言ってたけど、1万円ありがとうございました」と、私は仏壇に手を合わせた。
動き始めた時計
一周忌が近づいたある日。残業をして深夜に帰宅途中、父の葬儀を取り仕切ってくれた仏具屋の前を通ると、電気が煌々とついていた。中をのぞくと店主と目が合い、深夜にもかかわらず一緒にお茶を飲むことに。私は、その仏具屋で、茶色がかった水晶のブレスレットを見つけた。買ってくれと言わんばかりに光っている。私はそれを購入した。今まで同じような石は見たことがない。たぶんこの世に一つだけのものである。そのお値段8500円。
ブレスレットを買って家に着いたのは、午前零時をだいぶまわってから。母に「女が帰る時間じゃない」と怒られた。まだ携帯やスマホがある時代ではなく、私は腕時計をしていなかった。考えてみれば、長い間、腕時計をしていない気がする。高校進学の時に父に買ってもらった時計を思い出した。他のメーカーの白い箱に入った、シチズンの時計。父が、記念に残るプレゼントにしようと、洒落た箱をどこかから入手してきたのだろう。
父の命の時計は止まってしまったけれど、この腕時計は電池さえ入れればまた時を刻むことができる。さっそく、朝一番で電池を買った。その代金1500円。私の腕で、時計が動き始め、ブレスレットが私を守ってくれる。父が私に残してくれた1万円の遺産はきれいに使い切った。