時計が動き始めた瞬間、父が亡くなってから一度も泣いていなかったことに気づいた。気を張っていたのだろう。涙が時計に、そしてブレスレットに落ち、自分が泣いていることがわかった。

糖尿病を患っていた父は、心不全を発症して亡くなった。亡くなる前日には、危篤の連絡を受け駆けつけた親族を前におどけてみせたようだ。「死にかけている人があんなにはしゃぐわけがない」と皆が怒って帰った後、一人旅立った。

危篤と聞いても私は、無理やり仕事を入れ、病院に行こうとはしなかった。父がいなくなるのが怖くて、死が近づいていると認めることができなかったのだ。たぶん父も、私は来ないとわかっていたと思う。気持ちをうまく伝え合えない父娘だった。

今私は、自宅で仕事をしながら、母の介護をしている。そんな生活もすでに7年……もし父が生きていたら、母と父の2人を看なければならなかったかもしれない。だから、父は遠慮して早く亡くなったのかなと、ふと思うことがある。つい、母にきつい言葉を発してしまった時に、父の顔が浮かぶ。「お母さんに優しくしなさい」と言われているような気がする。

父が「物」として残してくれたものは少ない。お金ももちろんない。でも、私という存在を残してくれた。そして、父の不器用な愛情。こんな財産は、ほかにない。


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