マウンドに立てなくても
それが心の底から理解できたのは、大学3年のとき。実力をつけるために進学した東洋大学で、僕は肩を壊し、プロ野球選手になる夢を諦めざるをえなくなったのです。将来はプロの道しか考えていなかったのに、突然スパッと断たれてしまった。その事実に、ただただビックリしてしまいました。
進路に悩みながらも、残りの1年間は部員たちのサポートに徹することに。実は、それまで裏方にまわったことがなかったのです。でもこの経験を通して、今まで多くの人の支えと応援で野球を続けることができたんだと改めて気づき、気持ちが切り替わりました。「マウンドに立つ以外にもできることがある。それは応援だ。次は僕がみんなを応援しよう」と。
野球をやめて地元に帰ったときは、みなさんが温かく迎えてくれました。これまで「プロになるもの」と思って、僕のために時間を割き、ずっと応援し続けてくれた方たちの、優しい「お疲れさま」にグッときて。それを聞いたとき、このまま地元に戻るのは、ちょっと違うなと思ったんです。
じゃあ、僕が次にできることって何だろう。そう考えたときにパッと目に浮かんだのが、サンドウィッチマンさんの復興支援活動でした。当時、東日本大震災で被災した方々に笑いを届け、元気にしたり勇気を与えたりする姿に大きな衝撃を受け、すばらしいと感じたことを思い出したんです。
サンドウィッチマンみたいなお笑い芸人になろう、と僕は一瞬で決めてしまった。あのとき芸人ではなく、たとえば政治家の活動に感銘を受けていたら、政治家になろう、と思ったでしょう。芸人になることは、僕にとって《応援》の一つの方法だったのです。そもそも僕は人を笑わせるタイプではなく、高校時代の監督にも「高岸は公務員になると思ってた」と言われるくらいですから。(笑)
そうと決まれば、誰かとコンビを組まなくては。頭に浮かんだのは、前田でした。「やればできる」を校訓とする高校で、ともに3年間野球をしてきた仲です。挑戦するプロセスに楽しみがいっぱい詰まっていることをよく知る前田となら、お笑いの道も楽しめるはず。それで、すぐに連絡をとりました。
前田が驚いたかどうかはわかりません。「応援する側になりたい」と説明したら、あっさり「わかった」と(笑)。すぐにサンドウィッチマンさんの所属する事務所に書類を送りました。そして生まれて初めてネタをつくり、人前でやったこともないのにオーディションを受けて。結果は、「ネタにはなっていないけど声は出ている」という理由で合格でした。(笑)