自分史を川柳で振り返る

母親は、公務員だった父親を支え、長く専業主婦だった。60歳を超えてからカルチャーセンターで俳句を学び、趣味としてずっと続けている。その俳句は、4年前から全国紙地方版の投稿欄で採用されるようになった。その数、80句以上。今でも作句し、掲載されるのを楽しみに待っている俳人だ。

「取り上げられた俳句は切り抜いて取ってあり、それを中心にこれまでノートに書き留めたものからも選んでもらう。さらに自分史を川柳で振り返るという構成です。母が選んだ句を私がパソコンで入力し、印刷して母に渡す。それを校正していきました」

沢村さんは施設に行くとき、母に連絡を入れて、ロビーで待っていてもらうようにしている。差し入れを渡す間、分厚いガラス越しに3メートル隔て会話をする。耳が遠くなっている母に、沢村さんの声が届ず、声を張って「ここは、どうするの?」と聞いてもわからない。紙とマジックを持って、「この《追う》は、《追ふ》にする?」と書いて示し、答えをもらうといった具合だ。

施設側は、母親が句集を出すことに生きがいを感じているのがわかっているので、たった5分の面会を見て見ぬふりをしてくれる。

「元気? 何か食べたいものある? という普通の会話とは違い、俳句は一言一句確認しなければならず、本当に骨が折れます。せっかく作る以上、後からこうじゃなかったと言われるのは嫌。私も母の望むものを作ってあげたいと思うので、ついつい『この間言ったことと違うでしょ』ときつい口調になってしまうのです」