時代劇全盛期に《専属演技者》となって
わしが入所した昭和30年代は、まさに時代劇の黄金時代。《専属演技者》、つまり社員として雇ってもらえたのはホンマにラッキーなことでした。あの時代、大部屋にはわしみたいな演技者が500人はいた。わしらは立ち回りだけやってるんやないんですよ。通行人役もするし、スタントをすることもある。請われれば何でもします。部屋の入り口に掲げられた掲示板に、「町人──福本」とその日の役が発表され、それに従って現場に入るんです。
今はアクション俳優のチームもありますけど、あの頃、スタントはわしらの仕事。若かったから、怖いとか、怪我したらどないしよ、という不安はなかった。うまいことできると殺陣師さんが認めてくれて、「福本にやらせてみよう」と次々に白羽の矢が立つ。そうやってどんどん高いとこから飛び下りるシーンに駆り出されるわけです。
主役のスタントともなると、衣装も化粧もやってもらえて、「群集の一人」とは大違い。うまく演じれば、監督さんから「よかったよ、ありがとう」と声をかけてもらえる。わしみたいなもんでも、映画の世界で役に立つんや。それがこの仕事に魅力を感じる転機となりました。20歳くらいだったかな。
その後、25歳の時に、撮影所そばの喫茶店で働いていた女房と、駆け落ち同然で結婚したんです。当時の僕の日給は250円。スタントをやると危険手当が500円つくから、女房との生活のためにも、いい仕事でした。
でもある日、「さぁ、飛び下りるぞ」と崖の上から下を見下ろした瞬間、ふと「俺が失敗して大怪我したら家族はどうなる!?」と不安に襲われたのです。ちょうど長男が生まれた頃でした。いったん怖気づくと、えらいもんで体が動かへん。膝がカタカタ笑うてしもて。足がすくんだのを潮時に、スタントの仕事ではあまり無茶はしないようになりました。