もう逃げるしかないと、結婚した相手は

県の採用試験に受かり、中学の音楽教員になった。でも生徒は言うことを聞かず、授業にならない。バレー部の顧問になったため土日も休みなし。今でいうブラック職場だ。日曜日は中年の男性コーチと一緒に練習試合の引率をする。試合後の反省会と称した飲み会で危うくコーチにキスされそうになり、とっさに逃げ帰った。

数年後、県下一、荒れている学校に飛ばされたら、歓迎会で酔った体格のいい男性教師に抱きつかれ、尾てい骨をしたたか打って2週間も休むはめに。ようやく復帰したらクラスはめちゃくちゃになっていた。警察のお世話になる生徒もいるような学校のなかでも1、2を争う荒れたクラス。私は食事がのどを通らず、拒食症になった。

もう逃げるしかない。そう思ってお見合いし、寿退職。他県で父親の会社を手伝う男性と結婚したが、この相手が悪かった。お見合いの釣書にあった経歴は詐称。社長である義父に「息子に月給100万出すぞ」と大ぼら吹かれたが、実際は月収10万円。生活のため内職をしてしのぐ。せめてもの救いは、内職がやりがいのあるものであったこと。友だちもできた。

しかし夫はつくづく嫌なヤツだった。あるとき、急にお腹が痛み出した私は、尋常ならぬ痛みに立ち上がれなくなった。脂汗を流し、「救急車を呼んでください」と懇願すると、夫はいやいやダイヤルを回し、「これで満足かい?」。救急車の中で手を握りしめてくれたのは救急隊員で、夫は見向きもしなかった。「あと2時間遅かったら、危なかったですよ」と緊急手術後に医師から言われる。左右の卵巣が腫れ、右の卵巣は破裂していた。体がむくむので手術前に結婚指輪を外すよう医師に告げられたが、再びはめることはなかった。幸せって人にしてもらうものではない、と目が覚めたのだ。こうして5年の結婚生活に終止符を打った。