「伊勢物語」を下敷きに普遍のテーマを浮かび上がらせる
ものごころついた頃から、父親の年若の後輩にあたる12歳上の原田生矢(なるや・ナーちゃん)に恋をし、24歳で結婚することができた梨子(りこ)こと〈わたし〉。でも、ナーちゃんは高校生の頃からすでに〈さまざまな種類の女たちの柔らかな媚態をひきだす力をもって〉いて、自分以外の女性の存在を〈わたし〉は常に感じることになります。でも、そんな行状をナーちゃんが隠さないがゆえに、〈わたし〉はどこか安心してもいたのです。
ところが、ある日、いつもはあけっぴろげなナーちゃんが、苦しい恋を隠していることに気づいてしまうんです。相手は勤めている会社の副社長の許嫁。ナーちゃんが好き、無条件に好き、世界の誰よりも好きという明朗な恋に影が差した頃、〈わたし〉は夢の中で江戸時代の吉原でおいらんになる春月(しゅんげつ)として生き始めます。
そんな昔を生きる〈魔法〉を教えてくれたのが高丘さん。小学1年生の〈わたし〉と用務員さんとして出会い、ほぼ四半世紀ぶりに再会して以降は大事な話し相手に。そればかりか、春月の「いいひと」となり、やがて手に手を取って郭(くるわ)から逃げることになるお武家さまの高田として、〈わたし〉の夢の中に入ってくるんです。
川上弘美の『三度目の恋』は、平安時代初期に実在した貴族・在原業平(ありわらのなりひら)を思わせる色男を主人公にした歌物語集『伊勢物語』をモチーフにした長篇小説です。春月と高田の恋の道行きは、『伊勢物語』における〈のちの二条の后(きさき)となる女が、業平に盗みだされる〉芥川の段をなぞっており、苦しい恋に囚われるナーちゃんは今業平というべき描写がされています。