みぎわに立って

著◎田尻久子
里山社 1900円

店を訪ねたような
気がしてくるエッセイ

清楚な佇まいに惹かれて、この小さな本を手にとる人は多いだろう。帯を見ると、熊本にある「橙(だいだい)書店」という本屋さんが書いたものだとある。はじめは引越しの話だ。本屋の引越しはさぞかし大変だろうと思いつつ、見開きページで一話完結の短いエッセイを読み進めるうち、3年前にこの土地が大きな地震に見舞われたことを思い出した。

阿蘇山の麓にかかる大きな橋が落ちたニュースを見た。お城が崩れた話も聞いた。でも、そこに暮らす人たちのことは、メディアを通じてはほとんど伝わってこなかった。17年前からこの町の人に親しまれてきた、カフェと本屋を併設した著者の店も、あの震災によって移転を余儀なくされたのだという。

前の店に来ていた客たちが、新しい店にもやってくる。彼ら彼女らにコーヒーを淹れ、薦めたい本の話をする。思わぬ人から手紙が届いたり、いつしか来なくなった人の消息が伝わったりもする。傷ついた子猫を拾って癒やし、カラスの声を聞く。そして自分たちと同様、被災した人たちの暮らしを思いやる。

なにかドラマチックな出来事が起きるわけでもない。うたかたのような日々の出来事が綴られているだけだ。でもその行間からは、この店を仲立ちとして人と人とがつながり合う、まだ訪れたことのない土地の気配がする。日々の暮らしの言葉と文芸の言葉は、本来、かけ離れたものではないのだ、と思う。

この店は、しっかりと地に足がついたそんな言葉を集めた、『アルテリ』という小さな文芸誌の発行所でもある。読み進むうち、もうこの店を訪ねたような気がしてくる。そこはきっと、この本の佇まいによく似た場所に違いない。