東日本大震災当時、子どもたちは恐怖や混乱と悲しみをどうやって受け止めたのか。そして、どのような思いを胸に成長してきたのだろうか。かつての「被災地の子どもたち」に話を聞いた。一人目は現在18歳、被災したときは小学校2年生だったという阿部さんだ
3日間だけの特別な日
「お父さんのことを思い出すのは3月11・12・13日の3日間だけと、自分で決めているんです。毎年その期間はお父さんが最後に泊まった南三陸町のホテルに祖父母、母、妹と滞在するのですが、そこにいる間だけは自分が崩れてもいい、泣いてもいいことにしていて」と言うのは、宮城県仙台市在住の阿部遥斗さん(18歳)だ。
阿部さんが被災したのは小学2年生の時。自宅も小学校も内陸の仙台駅に近く、津波被害は免れた。ところが当日たまたま仕事で南三陸に出張していた父親が津波に巻き込まれてしまったのだ。
震災数日後から母に連れられ、連日のように父を捜しに車で南三陸へ向かった。そこで見た凄絶な風景は今も忘れられない。
「街はメチャクチャで、建物3階のベランダに樹が突っ込んでいたり、崩れた家の土台から飛び出た針金に魚が目から串刺しになっていたり。お父さんを確かめるのに、死んだ人の写真とかをオレも成り行きで何回か見てしまって。お母さんは、小さかったオレを連れて行ったことを今でも謝るんです。親なのにつらいものを見せてしまって、子どもを守れなかったと。
でもきっと、そんなこと思いつかないほど追い込まれていたんですよね。一番愛している人が突然いなくなったんだから。今は理解できるけど、正直言って、当時はひとり放っておかれるような寂しさも少し感じていました」
夫を失って取り乱していた母親を見て、阿部さんは父親の話にふれることを自ら封印する。