大勢の人がお父さんのことを覚えていて
小学4年生ぐらいから、母子家庭を理由にいじめを受けて不登校になった。だが決して孤立していたわけではない。中学1年からフリースクールに通い出すと、仲のいい友達もできた。スクールの職場体験で行った朝市では市場の人たちと仲良くなり、今でも親しく交流している。ほかにも阿部さんの「味方」になってくれる大人が周囲にはたくさんいた。
「お父さんってコミュ力がすごい人だったんです。たとえば居酒屋に入ると、店にいる全員と仲良くなっちゃう。小学生の時もスポーツクラブの先生とオレより仲良くなったりしていました。
大勢の人たちがいつまでもお父さんのことを覚えていて、『お母さんは大人なんだから、おまえが無理してお父さんの代わりに守ろうとするな。親は子どもがのびのび遊んでいる姿を見るのが一番うれしいんだ』と言ってくれたんです」
姿はなくても、周囲の大人たちを通して父親の影は常に息子を見守っていた。
子供の頃から料理に興味があった阿部さんは、今春、縁あって東京・銀座にある寿司の名店へ就職することが決まっている。料理に興味を持ったのは、避難生活をしているときだ。
「缶詰とか食材はいろいろあるんだけど、それを使ってもっとおいしく大人数で食べるにはどうしたらいいかなって考えるのが好きだったんです。これなら胡椒をきかせたらすごくおいしくなるんじゃないかな、とか」
夏と冬の休みを利用し、寿司店への泊まり込み実習も体験済みだ。仕事は厳しいが、親方は父親のように尊敬できる人だという。
阿部さんの父親は今も見つかっていない。だが生きていたら何をおいても寿司を食べに来てくれるはずだ、と阿部さんは言う。
「それできっと親方に、『怒鳴っても殴ってもいい。こいつを一人前にしてやってください』と言ってくれるんじゃないかと思います」