「ダムの底に沈んだ集落は行って歩くことができないけれど、原発事故の警戒区域は閉ざされる前だったら歩いてみることができる。ニュースを聞いた瞬間、そんな思いが噴き出したのです」
2011年の東日本大震災直後から、被災地に通い始めた作家の柳美里さん。6年前には神奈川県鎌倉市から福島県南相馬市に居を移し、さらに3年前にはブックカフェもオープンした。南相馬と深くかかわりあってきたこの10年は、柳さんにとってどんな日々だったのだろう。現在発売中の『婦人公論』2021年3月23日号掲載のインタビューをお届けする(構成=篠藤ゆり 撮影=本社写真部)

気がついたら身体が動いていた

2011年4月21日、当時の枝野幸男官房長官が福島第一原子力発電所20キロ圏内を警戒区域とし、立ち入りを禁止・制限すると発表しました。そのニュースを聞いた時、私の中では福島県の田子倉集落と何かが重なったのです。

私の母は福島県南会津郡只見町というところで中学・高校時代を過ごしました。福島県は太平洋に面した浜通り、阿武隈高地と奥羽山脈に囲まれた中通り、その西で新潟県に面した会津に分かれています。母が暮らしていた会津の只見は日本屈指の豪雪地帯。近くには田子倉ダム、奥只見ダム、只見ダムがあり、作った電力を首都圏に送り、高度成長期の日本を下支えしてきました。

浜通りに位置する双葉郡には原子力発電所が並び、原発銀座と呼ばれていました。そして新潟県境寄りはダム銀座。発電方法は違いますが、どちらも福島県の過疎地域で、東京に送電しているという構造が同じです。

小さい頃、母は同窓会があると私たち子どもを連れて只見に行き、ダム湖に沈んだ田子倉集落の話をしてくれました。湖を指さして、「あそこにお寺があって、川が流れていて……」と、すごく詳細で。「でもあまり水に近づくと悲しくなる。遠くから見ないと悲しみに引っ張られてしまう」という母の言葉が忘れられません。

同じ福島にあってダムの底に沈んだ集落は行って歩くことができないけれど、原発事故の警戒区域は閉ざされる前だったら歩いてみることができる。ニュースを聞いた瞬間、そんな思いが噴き出したのです。発表が21日午前中で、22日の0時をもって閉ざすということなので、ぼやぼやしている時間はありません。取るものも取りあえず、鎌倉の家を飛び出しました。

防護服は手に入らないので家からシャワーキャップを持っていき、コンビニでビニールのレインコートを買って。親しくしている講談社の編集者に聞いたら、『フライデー』編集部には線量計があるというので、編集部に寄って線量計を借り、双葉郡へと向かったのです。