「現実というのは、小説家の想像力では到底追いつかない。つくづくそう感じました」

 

その年の大晦日、私は南相馬の人たちが祈念する神社を全部まわりたいと思い、神社巡りをしていました。その流れで元旦に今野さんにお会いし、地元の方のお話を私が聞き手になって伺うという番組だったらできますとお答えしたのです。一対一だと緊張して話せない方もいると思うので、相手はお二人にしたい。こうして始まったのが『ふたりとひとり』です。

臨時災害放送局はインフラが復旧すると閉局するので、通常は3ヵ月程度ですが、災害の規模が大きく原発事故もあったので1年くらいは続くのではないか、と。「でしたら閉局までやります」とお約束しました。臨時災害放送局という性質上、ギャラも交通費も出ませんが、それでもいいと思いました。こうして鎌倉と南相馬を行き来する日々が始まったのです。

番組は毎週金曜日の夜8時半から30分間ですが、生放送ではないので、まとめて収録することもできます。1ヵ月に1週間、2ヵ月間が空いたときには2週間ほど滞在し、今野さんと私で車に乗り、機材を持ってご自宅や店舗、学校などを訪問しました。

収録が始まったのは12年2月。ご家族を失った方も、まだ一周忌が過ぎていない状況です。最初は口が重くても、話し始めると2時間、3時間と思いを語り続ける方も少なくなく──ひたすら聞き続けました。鎌倉に戻ってからも、あの時はマイクがあったので話せない部分があったと、改めて手紙やメールで思いを寄せてくださる方もいました。

出てくださった方には必ず、「2011年3月11日に、どこで何をしていらっしゃいましたか」と質問しました。もちろん皆さんまったく違います。たとえば、集金のためある家を訪れて扉を開けてしゃべっている最中だったという方もいれば、自動販売機でジュースを買おうと100円入れたところで揺れ、どうしたらいいかわからなかったけれど残りのお金を入れたとか──。献血の途中だった方もいれば、その日の朝にお母様が亡くなり、ご遺体があるので避難できなかったという方もいました。

体育の授業が終わって着替えている途中で、上が私服、下が体操服だったのでどちらに着替えたらいいのかわからなかったという学生も。彼女は「原発が爆発したので、その私服はまだ学校にあると思います」と語っていました。現実というのは、小説家の想像力では到底追いつかない。つくづくそう感じました。