すでに大方避難は終わっていたようで、楢葉町には検問所ができており、原則として入域はできません。そこで私は、「浪江町に親戚がいて、避難する時に犬を残してきたので犬を探しに入ります」と嘘をつきました。
夜ノ森、浪江小学校などをまわっているうちに日が暮れ、東京電力福島第一原子力発電所の正門前についた時は0時が間近に。すると車のライトに、置いていかれた犬たちが何匹も集まってきたのです。みんな首輪をつけていて……。きっと飼い主が帰ってきたと思ったのでしょうね。あんな嘘なんてつくんじゃなかったと、ものすごく後悔しました。
あの日の私は深い考えがあって双葉郡に向かったわけではありません。気がついたら身体が動いていた。でも、もし母が只見出身じゃなかったら、そして母の暮らした集落がダムに沈んでいなかったら、行かなかったかもしれません。
小説家の想像力では到底追いつかない現実
地元の人々とのご縁から、12年2月より臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」で、『ふたりとひとり』というラジオ番組を持つことになった柳さん。番組は18年3月25日の閉局まで6年間続き、のべ600人から話を聞いた。
地震や原発事故直後、メディアでは被災地の方々について膨大な量の報道がされました。現地に入って報道にかかわる人は、より悲惨な話や、絶望の中から立ち直っていく感動できる話を探すんですね。でも、そのことに傷ついている人も多いなと感じました。だから私は取材のために訪れるのではなく、とにかく「かかわり続けよう」と思ったのです。
11年のゴールデンウィークに南相馬市を再訪した際、地元の皆さんが相馬野馬追(そうまのまおい)を開催するかどうか悩んでいると聞きました。各地域に郷があり、毎年神旗争奪戦を行うのですが、双葉郡も、今私が住んでいる小高も全域警戒区域ですし、飯舘村も放射線量が高い状態でしたから。
相馬野馬追は千年続いていると言われており、天明の飢饉の時も第二次世界大戦の最中にも行われた。地域の安寧を守る神事なので、規模を縮小してでもやるべきだという声が勝り、7月に行列だけが行われることに。それを見たかったので出かけたところ、臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」の今野聡さんから、ラジオに出てもらえないかと声をかけていただいて。ただ、即答できませんでした。