気仙沼市(写真提供:写真AC)
東日本大震災当時、子どもたちは恐怖や混乱と悲しみをどうやって受け止めたのか。そして、どのような思いを胸に成長してきたのだろうか。かつての「被災地の子どもたち」は今ーー。最終回は当時中学1年生だった小野寺さんに話を聞いた

大人たちにつらいとも言えない

もう一人、震災体験を通じて「医療で人を支えたい」と思い、実際に看護師として医療に携わるようになった人がいる。震災当時、中学1年生だった小野寺なつみさん(23歳・仮名)だ。

気仙沼に住んでいた小野寺さん。学校に迎えに来た父親の車の中から、500メートル先に真っ黒い大きな壁が見えた。津波だ! と気づき、そのままバックで校庭に戻り、難を逃れた。避難した学校裏の高台は津波によって離れ小島のようになり、一面真っ暗な中にパトカーや家が浮かんでいる光景は、現実とは思えなかったという。幸い家族は無事だったが、家が全壊。地域も壊滅的な被害を受けた。体育館や寺に一時避難した後、親戚の家に身を寄せた。

「一軒家に12、13人で寝起きしていました。感謝はしていますが、日常のすべてに気を使い、しかも大人たちにつらいとも言えない。友達にも会えず、ただ気持ちを抑えて暮らしていましたね」

地元の高校を卒業後は仙台の大学の看護学科に通い、昨年の4月から石巻市の病院で働いている。